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2016年1月13日 (水)

教え、学び、教育、・・を想う

 ずいぶん昔だが“教えとは、希望を永久に語ること。学びとは、誠を胸に刻むこと”(註)筆書きされた武者小路実篤翁の色紙をみた。それから、みように心にとどまり、時折芽を吹く。教えと学びを我流に解釈すれば、茶道等習い事や囲碁等、まず先生から手ほどきないし指導を受ける。奥深く知るには自覚は不可欠。自覚する=意識するのは人それぞれ。時期やきっかけもそれぞれ。教えは他人からはじまり、学びは自らの意思からはじまるとしてもよかろう。
 教育とは?字面から見れば、教え育むこと。これでは単純。色紙の教えとは興味をもてそうなことと、その機会を与え続けることとし、学びは自発的な取り組みで得る知識や技能と、汲み取れば現代の子どもたちに、教えと学びの違いの説明はつきそう。
 学校教育(初等・中等)、気づきから意欲の展開へ。子供たちは、とし(年齢)に関係なくどこかの時点で、興味の持てるものを見つけたとき、より知りたくなる。積極的に深めたくなる。そのときに役立つスキル(知識と取り組み方)を身につけさせておくことかもしれない。読み書きそろばんに相当する。もっとも時代は変化しているから、それに沿った読み書きそろばんとはなるが。

 牛久市の学びあいは近年知られるところ。昨年夏には下根中を会場に全国規模の大会もあった。前の市長、教育長のとき、採り入れた授業法。学び合いは、委員会のホームページに概説があるここをクリック)。 ここ数年、毎月校内研修を重ね、成果を得ていると聞くが、広報をみたことはない。もっとも数値では表しにくいか。
 従来の一斉型授業は、先生が板書し子供たちに一方向で教えるスタイル。授業に関心の持てない子に手の回らないこともあり、それが学校運営をみだす要因と決めつける世論もあった。学び合いでは、教師は授業のはじめに、やや高めの課題を示し開始する。基本は4~5人のグループでの学習。先生はサポートに徹し、グループ学習を助ける。一人でも参加できない子がいないように気配りする。”ここ教えて”と互いに言い合える関係が理想だという。学力の底上げになるらしい。でも、おとなしい性格の子もいるだろうし、もっと進みたい子もいるだろう。ただ、できる子は教室にかぎらず高みを目指すもの。むしろ教えることで学びが深まり、人としての成長もみられる

子どもにとって人気のある先生は、子ども一人ひとりを認め、向き合い、成長を促してくれる先生。多くはないが確かに各校におられる。そうした先生は、授業を工夫し子供の個性を把握している。授業法への拘りは少ない。工夫の一環にすぎないのだろう
もともと先生は子ども好きでインテリジェンスも高い。一人でも多く、そうした先生になっていただくには、気の毒なくらい抱えておられる雑務くらいは肩代わりしたいものだ。出来ることをできるだけのスタンスでのボランティア。開かれた学校に申し出るのも良い。地域の誰もがその気になれば、これは大きな地域の力になるが。

(註)ルイ・アラゴン(1897-1982 フランスの小説家・詩人:1943ストラスブール大学歌作の一節。ナチスに追われ多くの学生に犠牲の出た絶望期に希望を謳った。

 

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