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2016年4月21日 (木)

牛久市の人口 旧村:牛久・岡田・奥野でみる

 私たちの牛久市の人口、27年度末現在:84,745名(男:41,908名、女:42,837名)。前年比462名増でした。人口減少の日本にあって数少ない自治体のひとつです。リタイヤ後、学校支援を始めた2,003年からこの終の棲家に関心を深め、その歴史を調べてみました。以来、年度末に牛久市の人口と世帯数の統計値(住民基本台帳はこちら、行政区別ならこちらを手にいれ資料を作成しています。奥野12行政区の動きを焦点にするので利用は「行政区別人口*世帯数」牛久市域は時代を遡ると牛久村、岡田村、奥野村になります。その変遷は「牛久市史」にありますが、引用してみるとこんな風にこちらをクリック)。昭和の合併(30年2月)によって、3つの村は稲敷郡牛久町になり、昭和61年6月1日市制施行にて牛久市なりました。今年50周年。 さて、
      4,007万  12,698万  3.2倍
      6,664    84,745  12.7倍
 
 この数字、なんだと思いますか? 正解は、上は日本の総人口、下は牛久市の人口。1列目は明治22年(政府としての統計のはじまり)、2列目は平成27年度3列目は伸び率です。日本の総人口は、平成20年1億2800万人をピークに減少に転じています。面白いのはここから。牛久市の旧3つの村を地区と置換えて中間集計してみました。最小の単位は○○行政区となります。牛久地区、岡田地区、そして奥野地区。地理的には国道6号や鉄道は牛久・岡田地区を通る街の中心地。文化財は3地区にある。ともかく3地域別の人口を見てみましょう(こちらクリック)。牛久市としては明治22年に比し12,7倍の伸びでも、牛久地区14.7倍、岡田地区24.3倍、奥野地区1.9倍。市に占める3地区を割合で見ると、牛久地区36.2%、岡田地区57.9%、奥野地区6%。あらあら!という印象ですね。でもそこが魅力。明治22年からの主な年度の人口集計でみるとまた違って見える(こちらをクリック)。明治40年までは奥野地区38.3%で一番多い。次の期間は岡田地区となり、牛久地区と移る。そして今や岡田地区がひたち野うしく地域により57.9%にもなる。何故だろう?と追究すると、この地の歴史が、また日本の産業構造や道路、鉄道、物流、また宅地開発と流入する人口に解が見えてきます。
 牛久市は「広報うしく」の4月1日号で「牛久市人口ビジョン」「牛久市まち・ひと・しごとと創生総合戦略」を発表しました(こちらクリック)。この2ページの資料、再読をお薦めします。その中でなんと約40年後、2060年の人口目標を現在と同水準の「8万4千人」としています。街中心の牛久・岡田地区に比し奥野地区は、宅地開発はただの一カ所。人口は5千人と少ないのですが、歴史ある累代つづく家々の人々と、我が流入住民の均衡がとれている資料はここらクリックの資料3)。しかも自然豊かで、世界の求める持続可能な社会に環境はピッタリ。圏央道インターも近く、都心に成田空港へとそのアクセスはちょうど良い。この地で、グローバル時代の人材が育つ。そういう夢を見ると、実に恵まれたところです。

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