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2016年12月24日 (土)

クリスマス・イブの思い出

  クリスマスカード 「jaxchristmascard5.exe」 ほぼ20年前のこの日、思いがけなく彼からこのカードがメールで届いた。X_9その後、知らぬ間に肺ガンを発症し定年を迎えることもなく去る。カードの作者は不詳。当時としては超珍しいアニメーションに出会った彼が、柄にもなくプレゼントを思いついたのか。ご覧頂きたい。次の手順で。1行目クリスマスカードの右をクリック(ダウンロード)し、画面下の表示から【実行】クリックすると展開し封書が現れる。画面一杯になり、画面を小さくしたかったら Esc 。では、手順。封書のスタンプクリックし、以降 Enter を順に押下。終了はQuit

 彼は、卒業後最初の職場の3年後輩。彼自身がプロデュースし、ある大手企業と共同設立した会社に完全移籍するまで、ずっと一緒だった同志の一人。
 そこは、科学技術文献の速報誌を発行する半官半民の団体だった。国の予算(特別会計)と密接な繋がりがある。 今年のそれ”29年度予算の閣議決定”は早いが、当時は大晦日ぎりぎりまでつづいていた。28日の納会の傍らでは、大蔵省への説明と資料準備と持ち込み待機に明け暮れる予算グループもいて、コンピュータ関連の時は駆り出された。

 世は高度成長に向かいつつある時代。資源のない日本は、世界中に出てくる第一線の技術を知り、学び、研究するべく、文献を集め、企業や研究所や大学に、そのダイジェスト情報を速報誌としてながすのが組織の役割。最新情報を国家として強く求められ、新技術開発に官民挙げて取り組む沸騰の時代でもある。英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語等の論文やプレスリリース等。これらを収集し、電気、物理、化学といった専門分野毎の情報員(大半は修士,博士)が、文献を選別、国内の大学や企業の協力者に翻訳を依頼。戻ってくる初稿は、再び情報員の手で原文と照らされ原稿となる。それを和文タイプライターで一文献毎にカードにし、分類編集し、リストマチックカメラで撮って版下を作り、印刷所に持ち込む。収集から発行まで半年もかかる。速報誌とはいえない。もっと速くと産業界の要請は強かった

 その頃のコンピューターは、英数字・カタカナ文字・一部記号に限られていた。コンピューターで編集し、速く発行せよ、との理事長の号令で、コンピュータによる漢字処理の開発は始まった(1968年)。果敢な挑戦に俄然沸き立つ電子計算機室。残業代のつく/つかないなんて気にしない。日本のためという高揚した使命感。先輩は日本(漢字かな混じり)文を出力できる装置の開発に着手。世に傑出したエンジニアはいるもの。その人たちとの共同開発となって改良を重ねて実用化へと進む。並行して情報員の原稿をもとに、新聞社で使用していた漢字テレタイプライターを使ってテープをつくり、その紙テープをコンピューターに入力、雑誌形式に編集し版下を作ることになる。今に続く文献速報誌のコンピューター編集の実用化に当たったのが我等。現在のパソコンの性能に遠く及ばないころ、一晩で版下を作るのは至難なこと。実は、先任の担当者がいた。が、海外に行くと言い残して消えた。我等はその後任。期日までに実用化レベルに達し、大々的な記者発表となり、NHK夕方のニュースで世に出たのは1970年。いらい漢字を扱える先端のエンジニアとして注目を浴びることに。

 速報誌の文献情報は貴重な情報として蓄積される。それらから求めたい情報を探し出す情報検索へと技術開発(システム開発)はすすむ。彼はオンライン検索(今やyahoo等で当たり前)プログラムの作成で非凡な才を発揮。こうして日本で最初の漢字処理と情報検索技術、二つの先端キィテクノロジーを身につけ、民間でやってみたいと決意し退職を申し出ると、なんと彼も同じ日に提出する。もともとは、国家プロジェクトに準じた開発に携われたことによる幸運。担当理事から”オンライン情報検索のプロトコルを仕上げれば”との条件付で一年後、二人は恩ある組織を卒業(担当理事,送別の言葉)。そして1972年2月、オーナーの傘のもと新規事業を立ち上げる。二人からの組織作り。今で言えば起業に相当するが、このことは、いずれ。

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