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2016年12月27日 (火)

学校語、あらかると

 一般人には馴染みの薄い用語が学校にはある。専門語?業界語の類い。ここでいくつか紹介。
 「板書」。バンショという。授業の中で黒板に書くこと。こんないい方とは知らなかった。昔は、本当にだったが、いつの頃からかになって広く普及。でもコクバン。目に優しいらしい。チョークをつかうがあまり粉が散っているのを見ない。マーカーを使うホワイトボードもあるが案外汚れる。サイズにおいて黒板には遠く及ばない。そして、今や電子黒板。文科省のICT化3指標(無線通信、タブレット)のひとつ。牛久市は県内でブービー。そのかわりかも知れないが、数年前に大型印刷のできるプリンター?が入った。パソコンで作成し、そのプリンターのようにつかう。これは便利。Photo_2授業で先生方は多用している。大きい文字で印刷したマグネット付資料を黒板に貼って使う(繰り返し使用する資料は板書より手早く貼れて綺麗)。低学年の国語の利用に多く見受ける。右図は奥野小1年。教室側面に常設掲示の国語の文章に若干の手を加えた資料。
Photo 「立腰」。リツヨウという。電子辞書で一発変換は無理。新語登録する。腰骨(こしぼね)をいつも立てて曲げないようにすることにより、自己の主体性の確立をはじめとした人間形成を実現する、極めて実践的な方法と、哲学者・教育者である森信三(もりしんぞう)先生が提唱されたされたとある。市内どの学校にも、その椅子は置いてある。ちょっと特殊な形。今回あえて座ってみた。背筋がピンと伸びて気分爽快。授業を受ける姿勢として望ましい姿勢と、うなづけるが学びあうグループ学習のときは、どんなものか。心がけ次第か。神谷小学校には、座り、膝をつけ、足もとの開く角度を示すものもあった。
 「居場所」、イバショという。ウッ!?とつまる。聞き慣れない。学校・教室における子どもの居場所ということ。会社で、認められるているのと同義。認められていれば、その人にとって安心を得る場。居場所。子どもだって同様に居場所は必須。以前は、あの子は、頭が良い/スポーツに優れている/絵がうまいといった目に付きやすい大ざっぱな尺度で人を見た又は見られた。そんな見方は牛久では時代遅れ。学びあう授業を通して、細かく様々な分野で認め合っている。誰もが何かを友達に認められていることで居場所を得ている。授業が理解できないから・面白くないから教室を抜けるということは今はない。荒れにつながらない。市教委の今年の目標には、この居場所づくりと高い学びの保障をあげている。

 「一斉授業」。イッセイジュギョウ。当然読めるが馴染みはなかった。授業改革と呼ばれる学びあう授業の浸透で、対語として使われてきたのではないか?一斉授業は、我々が経験した長い伝統のある学び方。教師は教壇にたち、それこそ姿勢を正させて、もてる知識を単元に沿いイッセイに伝授していく。教え方も先生次第。当然、理解の早い遅いあるいは理解できない内容はそのままになることままあり。でも試験、点数で評価される。団塊世代2世のころからか、荒れる学校が多発した。授業の方法を真剣に見直し、考え、研究し抜き、実践された方がおられた。佐藤学先生。その長く真摯な努力に、教壇に立ち苦悩されていた現場の教師が共鳴して、より授業法を工夫され、いまに続いている。一斉授業とは真逆な授業法だけに反発も。形だけ採り入れた例も。牛久は違う
 ついでに番外編。子どもの言い方分類。幼稚園・保育園は園児。小学校では児童。中学校では生徒。高校も生徒?大学・専門学校では学生。これって役所の分類でしょう?親から見れば、みんな子ども。だから、本記事では”子ども”と”学生”のみになるかも。
 

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