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2017年6月

2017年6月23日 (金)

二中の生徒総会

 6月7日⑤⑥校時の二中の生徒総会。彼らは、冒頭「おくのキャンパス コミュニティ・スクール」って聴いたことがある?、何だか分かる?と続け、説明に入った。”キャンパス”とは、敷地とか校庭の意味。”おくのキャンパスは、おくのの敷地とか校庭。つまりおくのふれあい保育園奥野小学校牛久第二中学校は同じ敷地・校庭で一つの学校であると説く。さらに同じ目標を持つとつづけ、その目標とは「夢と自信を持ち、おくのを支え、未來にはばたく児童生徒と展開。次に、はばたくために・・、ささえるために・・私たちががんばっていることを列挙、さらに「地域とともにある学校」のことを『コミュニティ・スクール』というから「おくのキャンパス コミュニティ・スクール」は、『同じ目標を持った、そして地域とともにある学校』と論理的に展開した県内にこのような学校はないとの教頭先生の話に彼らは、モチベーションを得たか”誇りと自信をもって、全員で、地域とともにある学校づくりをしていきましょう!!”と呼びかけた。二中生のおくのキャンパス コミュニティ・スクール」の認識。「おくのキャンパス コミュニティ・スクールと題する発表には、さらにブレークダウンした理解と目標もみえるこちらのクリックでPDF表示)0623
 キャンパスに先立つ奥野学園構想の段階では、隣接する奥野生涯学習センター、奥野運動広場もふくめていた。人は皆、生涯にわたり学びにあるとすれば狭義には2校1園、広義には一帯を含めてもよかろう。右図はその概念。まずは、おくのキャンパスはコミュニティの参画を得て、おくのキャンパス コミュニティ・スクールの充実を図ることになる。おくのキャンパスは、昨年10月:小規模特認校、今年3月:コミュニティ・スクールの指定を受けた。学区外からの子どもたちも増えた。目標は、おくのキャンパスに学ぶ子ども(園児から児童、生徒)かかわる先生すべて、そして奥野地区住民の一人ひとりの共通認識になってほしいしなるだろう。この目標をさらに具体化した活動計画に置き換え、その成果を毎年確認してゆけば着実な実現をみることにもなる。
 二中の生徒は、未来にはばたくためには”英語”と”国際感覚”は必要と強く認識し、奥野小・2中が平成26年秋から講じてきた重点策:英語と国際理解教育を振り返り、気持ちを新たにした。サポート16年目にして初めて参加した生徒総会で、こう言い切られては学校運営協議会委員の一人としてはやるべきこともある。彼らの発表資料は二中ホームページにあるがこちらクリックで表示、この資料をもとに、かつて作成した資料「奥野地区学校の取組み2016.2.10おくのキャンパスの取組み」に改め更新したこちらクリックはPDF表示170622_2項目は生徒の認識を踏まえて、並べ替え、また現状にかえてある。資料にある総合の発表は28年度活動の活用という。その中の1学年の部の総合的な学習のフイールドワーク。今年度は6月15日の実施で同行した。昨年同様の島田地区奥野12行政区の統計。高齢化したが歴史のある地区の現在を、中根さんからは日常生活、永沼さんから、築210年1807年:文化4年という屋敷内でその歴史をうかがった。式台のある堂々とした屋敷は江戸時代、役人を出迎える場合に、またお裁きにも使われたに違いない。名主であったろう。NPO法人アサザ基金さんのいつもの案内・サポートは有り難い。そのうえ、アサザさんが借り入れたという民家は生徒の発表資料にある通り。やがて古民家風カフェを開く夢もあると聞く。80世帯224人(平成29年3月末現在)の小集落にとって嬉しい話。すでにその噂は歓迎で広まっている。それにしても二中生徒の発表、優れものではないか。どうやら、この4月着任の教頭先生の監修らしい。

 生徒総会前日:6日の牛久市議会一般質問。長田議員は「奥野キャンパスの今後の方針について」質した。市教委の答弁には、二中生徒の認識と全く同じものをみる。いくつかそのままあげる。⇒「おくのキャンパスは、各学年単学級の1小学校1中学校である『奥野地区』において、学校が地域づくりに、地域が学校づくりに取り組む双方向の関係性をつくり出し、学校及び地域の活力向上を図ったり、小中一貫の教育を推進することによって夢と自信を持ち、おくのを支え、未来にはばたく子どもの育成を目指していますと答弁。その具体的な施策としては「地域の人材やALTの活用による、小規模校を活かした少人数の英語指導や国際理解教育の実践による魅力ある学校づくりと、地域住民やNPOと連携したESD教育の充実に努めいます」と続けた。市教委から生徒に至るまで、全く同一の認識と方向とその行動。揺るぎない。
 次なる課題、「小中一貫教育の現状として、地域の方々と学校の教育活動を結びつけるために、現在は校長や教頭がその役割を担っているという課題があるが、今後、地域学校コーディネーターの育成を通してそうした問題を解決したいと思う」と答弁。その他運動会、子ども会等の質問もあった。内容は前述の「おくのキャンパスの取組み」に加味してある。

 年度初めの教育委員会指導課ホームページに、「牛久の教育」(こちらクリックで表示)(2ページまとめPDF25.1MB表示はこちらから)をみた。この資料は、中央列は「学校で」、左に「地域と学校で」、右に「学校と学校で」とする整理のもと、やっていること、課題を列挙してある。中央の「学校で」には「一人残らず質の高い学びを保障する学校づくり」と不変の柱、「授業づくりを核とした学校づくりの推進」は中段。下段に「教師も,保護者も,地域も,ともに学びあう学びの共同体の学校づくり」とある。過年度の資料を網羅した総合編、手引書というところか。現在と少し先の活動を見る・考える上でガイドになる。うしくの学びの理解は、ここから進むのがベターかも。

2017年6月17日 (土)

奢れる者久しからずか?

 市議会会期中のこの時期、国の最高の意思決定機関たる国会も18日期末の会期中。一昨日:6月15日朝いわゆる「共謀罪」法案は強行採決に至った。中間報告という奇策で員会採決を省略(無視)し本会議で決する。委員会の委員長は与党だからとの配慮で、この手をこの日に行使したとかいうコメンテーターの声。この国会の体たらく、予想はしていてもあって欲しくないだけに絶句し見かねる。法案の善悪の前に、総理自らが担当大臣の発言を制してまでも推し進めるやり方、法案に不安を覚える。怪しい。これだけで十分に国民に災いをもたらす法案に違いない。この際、そう遠くない将来、大人になる孫のために自身も率直な現在の心境を文字にしておこう。かつて20代後半のある日、父に”昭和初期から終戦まで続いたあの時代、何を考えどう行動していたのか?”と親不孝な質問をしたことがある。無返答だった。

 現在の中学校「公民」の授業はどのようなものだろう?授業観察時に我が知識の焼き直しをしてもよい。君主制でも一党独裁でもない民主制は最も優れているとは言い切れないまでも住民・国民に主権があり、その参加によること、かつ多数決原理で、ものごとを決めると言う意味で良い制度とされている。但し、条件があると何処かでみた。統治者は、少数意見に配慮すること配慮しすぎては決められない、という欠点も合わせもつ。政治はタイムリーも大切だから難しい判断を求められる。
第二次安倍政権発足以来、衆参両院ともに与党多数にかわって、ものごと(政策)は進むようになったものの強行採決ありきの強引さが際だつ。諸外国訪問も従来より多く、一見八面六臂の活躍に見えるが成果はあがっていない。内政でもかけ声は大きく成果は薄く。むしろ危険な匂いさえしてきた。森友から加計学園、岩盤を打ち破る国家戦略特区は重要な課題。だが公平・公正はいうまでもなく、公明正大の要。いわんや少しでもお友達への配慮と憶測されては醜悪な事態だ。文科省、内閣府、官邸が関与する今も。巨悪は今後も配下の犠牲の上に居座り続けよう。しかも何の罪の意識なく。一強安定が続くと見れば部下は直接の指示はなくても、その意向を汲んで、場合によっては「偉いさんが言っている」とかなんとか、虎の威を借り動くこともある。挫折を知らぬ優等生エリートタイプ。今回もおそらくそうだろう。こうしたとき、内閣の舵取りにこそ頼みの綱(存在)なんだが・・いけない。かつて後藤田さんという名官房長官がいらした。国民目線で総理に対しても、もの申すという方で記憶に残るが、今のその立場にある人、言いつくろうばかりで、もはやそこに少しも信はおけない。我が同年齢の副総裁とやらも、変節したのか?おかしな発言ばかりつづく。恥を知らず、同世代には存在しないと勘違いしていた自分は滑稽でお気楽人間か。教室で学ぶにかけ離れた魑魅魍魎の現実。ネットから画像をお借りして心の内を表してみた。061750_3
 最近”中選挙区制の方が日本人には向いていたのか”と考えはじめた。あの金権まみれの腐敗に嫌気がして、政権交代を生み健全な政権になると期待して人々同様小選挙区制に味方した。ところが、当時から健全な野党も必要言われつつ、英国の保守党、労働党を夢見たのがいけなかった。現実には離合集散を繰り返して、一度は政権交代の実現をみたもののあえない末路。小選挙区制は選挙区一人の当選者。それ故、党内で面を犯して諫言する人もグループもなく、かえって多様な意見を封殺する状態になってしまった。中選挙区制は一選挙区複数の当選あり。金権政治を生む土壌にはなるが、与党内では牽制勢力にもなるグループ(派閥)が生まれ機能した。現在は一強がいけない。そのもとでは議員といえども生身の人間。国民を代表している意識より自己保身優先の自分ファースト。その程度の人物ということだろう。考えてみれば選ぶ側だって無責任だ。多くの人は寄らば大樹の陰、危うきに近寄らずの安定志向。投票率はいつも低い。政治への不参加に同じ。今の有り様は選挙民の責任でもある。ところが現実には、まじめな大衆が多くいるはずもないから、やっぱり当選者に選良としての自覚と公僕としての努めを期待する。そして裏切られる連続。農耕社会を遺伝子に持つわれら日本人、大きな変動は望まず緩やかな変化を望み、空気を読み多数の動きに合わせる傾向も強い。正論の野党、芯のない野党より与党の中に調整を望む方がベターなのか?現在、与党は2つ。一方に一定の抑制効果は見えるものの、これまた権力の側にいることで知った味。実現する政策もあるから、いざというとき腰砕け。さて、彼ら選良と言われる方々、どの目線に立って判断し行動するのか。国民!?、いや、やっぱりこれからも仲間(党)ファーストか。不甲斐ない。

 子供の頃、よく母に”他人の役に立つ者になれ、上に立てば上になるほど謙虚でアレ”と𠮟咤されてきた。こころにとめている。

2017年6月16日 (金)

29年度第2回市議会

 只今、29年度第2回牛久市議会定例会(6月2日初日~16日採決日)会期中。今回も2日:初日と6日:一般質問初日、13日:教育民政、14日:産業建設常任委員会を傍聴した。気のせいか以前より活発で良い印象にある。議長や各委員会の委員および委員長等に変更をみた。選挙直後に決まる各委員会の分担は2年で再割り当てする決まり。0616新役割は市のホームページから情報をひろって作表し従来と重ね手帳に挟んでいる。これまでの2年と大きく変化した。議員のどなたが何の委員会に属するか、一市民としてはともかく、役割を誠実に果たしてもらうにつきる。引き続きその変化と活動を見届けていく。最近、後期高齢も2年目になったせいか厚かましくなって、議会や委員会の開会前に議員の控え室にお邪魔するようになった(5つの控え室有り)。議員さんといえば、以前は一目も二目も置く存在だったが、今は、みんな年下だから気楽にお話しできるし、話してみると思いの外、普通の人で意見の交換もできる。こうなると議員の日常は如何に?とその活動を知りたくもなる。
議案の採決に至る流れは企業の役員会と株主総会になぞらえると分かり易い。初日の一般質問の印象。以前より少し改善されたか。しかし事前提出の質問に準備した回答だから、効率的ではあるが傍聴は退屈する。執行部席にも目立って不機嫌そうな方もみる。その点、一問一答方式での再質問や再々質問はまさに執行部の真価が問われるだけに面白い。今回傍聴した中で印象的に残ったのは長田議員(一問一答方式)。事前通知の質問は2件あった。1)民生委員のなりて不足解消について、2)おくのキャンパスの今後の方針について。それぞれその要旨も2件あり具体的な回答を求める。他議員と比しボリュームは少ないが、字面より実際の応酬はテンポよく運ばれ良かった。質問、回答の時間は各45分と言うルールがあり、議場には経過時間の電子表示もあるが気にもならなかった。この時間を見比べるのも一興。バランスをみている。
 おくのキャンパス コミュニティ・スクール学校運営協議会委員という役割にある以上、関心を持たざるを終えないのは「おくのキャンパスの今後」。この質問と回答は、翌日初参加の牛久二中の生徒総会の発表にも見たので、並べて別記事を設けることにする。

 一つ特記。新生教育民政常任委員会。委員会役割の認識不足な質問もある中、石原委員が予定外案件を提出した。いわゆる緊急動議のよう。事前に資料配布があったようで全委員賛成で採択、議案になった。二件ある。その1はキャンパス・バス運行のこと。キャンパスに通う学区外の子どもは、児童(小学生)22名、生徒(中学生)6名。合わせて28名。バス利用希望者は17名との回答あり。初年度:29年度は、登校時:中央生涯センター10分待機して7時20分発、奥野小へ、帰校時:16時5分奥野小発、中央生涯センターへの一往復。復路は中央生涯センター着予定時刻(16時30分?)より10分経過しても迎えのない場合は、なび奥野小へ戻り児童クラブへとなる。実際にその例もある。迎えは事情もあろうから安心な配慮。6月1日に往復とも実際を見、運転手さんとも話した。通勤時間帯でもあり渋滞もある。乗降車場所については、年度毎に就学実態をみて検討の回答をえた。もっともなことだ。
 その2議案は、市内小中学校13校の職員室におけるインターネットを使える環境についての質問。校務パソコンは教職員には全員にあるということと、ネットの利用可能なパソコンは4台から7台あるとの回答。市教委職員も異動しているから書面調査のうえでの回答だろう。現場を実地に調べてもらいたがったが時間もなかったか?残念なのはインターネット利用環境についての回答、「セキュリティ上の制約がある。本庁も同様の利用にある」と。それでジ・エンドなら8年前くらいの理由に同じで少しも進歩がない、硬直している。問題認識さえみえない。回答者に注文する。簡単な現状調査法は、異動して来られた校長先生を含め全13校の校長先生に電話で尋ねること牛久市周辺の自治体学校では、もっとネット利用環境は良いことを知るだろう周辺では可能な環境が牛久市では出来ていない。何故?予算?それとも認識不足?担当部門の勉強不足? そもそも本庁でのネット利用頻度と学校とを単純比較するのは間違い。学校の担任の先生は限られた時間でしか利用できない。何故そうなるか、その認識もない回答では落第点。必要性の把握から取り組むべき。その点、今年度建設課に吸収されたらしい道路維持課の対応は優れていた。届けると翌日には修復されていた。つい最近のこと。任務の違いか認識の違いか再考を願う。<情報教育サポーターS.H>

2017年6月10日 (土)

教える/学びあう

 「教える」は教師が前面にでる授業。講義型ともいい先生と生徒が向き合う一斉授業。先生のもてる力量で授業を思うがままに運ぶ。「学びあう」は子どもたち中心の授業。今や文科省もアクティブ・ラーニングと称して推進する21世紀型の授業法佐藤学先生の「学びの共同体」の実践を市内全校ですすめている牛久市の授業現場をこの一年、つぶさに見てきた。まだまだこの学びあう授業の理解の入口に過ぎないが、ここらで感ずるままに述べておく。
 一斉授業は、明治の小学校令来長く続き、時代の変化に児童生徒数の変化に、高度経済成長期にも、社会に対応してきた。しかし(浅い視点だが)ピーク時270万人に及んだ団塊の世代の子どもたち(第二ベビーブーム)世代の頃からか?荒れる学校や家庭崩壊がおきてきた。一斉授業では、増えた児童生徒数もあり、学ぶことに不得手な子どもに対応しきれず、子どものエネルギーはあらぬ方向に吹き出た。学校は、一部の荒れる力には力でということか?体力のある生徒指導者によって対処してきたが沈静化効果は薄かった。世の中全体が貧しかった親の時代(ビートルズ世代)にはこんなことはなく、むしろ解き放たれたように音楽を初め文化に新しさが生まれた。物が満ちあふれる豊かな時代に変わって、家庭でとされてきた躾けも不十分なままの子に、学校で強めの指導をすると学校は攻められようになり混迷する。
 一斉授業は、教師の知識や(算数・数学等の)解き方の伝授にある子どもの記憶力と覚る力次第で学力の差が出る。しかし、これらに得手な子もいれば不得手な子は今もいる。数十人もいる教室では理解できない、学習に関心を持てず面白くない。逃亡する子どもだって。そうした事態に有効な手を打てなかったのは現実。補習という埋め合わせもあるが、所詮部分的な手当てに過ぎず本質的対応でない。結局、荒れは治らず。
 0609こうした背景の中で工夫されたのが学び合う授業なんだろう。この考え方に賛同者が生まれ、実践を通して考察を深め、明解な方法の提示をみた。これを正しく理解し実践した学校に著しい改善をみた。
この授業による子どもを持つ保護者達に、大きな信頼をえた数人の先生方に話を聞いたことがある。異口同音の返答。それは「教えたいことはたくさんあるが、自分一人では全員に教えきれない。そこを打開したいので学びあいに関心を持った」と。学びあう授業は、机をコの字にするという外見的に分かり易いことと、一見、先生に教えているのか?と見えるため批判的な声があがった。なかにはこの学び合う授業によほど未熟な先生の現場を見たのだろう?リスペクトを得る立場にある元校長先生の批判記事には驚いた。その記事今もネットに。
 学びあう授業(5分~10分程度の)視察レベルでは全く、フルに一時間(校時)を見たとしても疑問を抱いたままにおわる学びあいの提案授業と、その直後につづく先生方全員参加のうえ、スーパーバイザー(専門家)もいる校内研修を3回みて、やっとその概要理解の糸口を得た。いまも校内研修を観察するが、その都度得られることがある。
 決して先生は怠けていない。授業は当然準備し、時間をコントロールし、子どもたちの学びあう状況を観察し、分からない子には学びに参加できように寄り添っていく。広く神経を働かせている。あくまでも教えるのではなく子ども自身の学ぶ力を引き出すこの教え方は従来とは真逆だ。それだけに力量と実績のあるベテラン先生にとっては苦痛だろう。でも貴方のこれまでの方法で”等しく学ばせることはできましたか?”と問われると困るだろう。牛久市の教育のスローガンは「一人一人に高い学びを保障する。居場所をつくる」で、先生方共通の認識。公教育たる小・中学校、如何にしてその目標を達成するか。月1回の提案授業と校内研修、この時間は必須と確信する。佐藤先生の言う授業の公開と同僚性の醸成はここから生まれる。
授業中の子どもの学びの状態観察には個人差がある。30人授業を一人の先生では無理もない。校内研修のグループ討議において先生方相互の視点での情報交換は、学校全体の学力向上に結びついていく。子ども4人グループで、目につくほどに学習に参加できていない子どもは、多くが気づくが、その姿からは目につきにくい子どももいる。子どもの学ぶ力を引き出す方法も、経験の差はでる。だから「○○さんはこんな時、どうしていたよ」という情報は、その子のその後のより良い学びに必要で貴重な情報。

 学校は知識を教え込むから、問題や課題を解決する力の育成に変化しはじめた。社会には教科書はない。そこにあるのは課題や問題、それをどのような手立てで解決するかが仕事そのもの。そのときに、必要な基本となる知識を得る方法、他人と協働する進め方を身につけていることは重要なこと。知識満載でなく、解決の糸口をみつける知恵と、巧く運ぶ実践力が問われる。かつての(情報産業)会社の新人教育と同じ。学びあう授業でのペアであったり、4人グループであったりのなかでの子ども同士が考えを交わしつつ問題にあたるその体験に、後々活きるヒントがあり、コミュニケーション能力が身につく。授業最後のジャンプ課題の良否がまた一段と考える力を刺激する。そうした時間を四六時中、学校にいる間中、友とおくっているのが今の牛久の学校。知識伝授の時代から知恵の出し合い・助け合いによる時代への転換に備えている。大人は既に社会で実体験しているこの手法をいまや学校で身につけはじめていると言うこと。ディープラーニングによるAI(人工知能)の発展は、今ある職種の何割かをなくすという予測がある。なればこそ、問題・課題を協働して解決する授業法は21世紀型に相応しい。
 卒業したての先生はともかく、ベテラン先生にはこの変化、苦痛だろうが、よく見ると、先生方の子ども大好きは不変で学力をつける喜びを知っておられる。先生の目標に向かったときの能力(インテリジェンス)の高さと、その発揮する姿は気持がよい。先生!お願いしますよ。私たちの子どもを。学び合いは子どもだけでなく、先生、さらにこれからは地域の人々も身につけ協働する時代なのか。

2017年6月 3日 (土)

いじめと、自殺と、忖度と

 つい最近、「自殺対策白書2017(厚生労働省PDF)がでた。そこに「年齢階級別の自殺者の推移」がありニュースにもなった。注目は次のページの第1-9表:10歳から64歳迄5歳刻みの統計。これによると15歳から39歳の死因1位は自殺とあり、不慮の事故を上回る。右表はその抜粋。0603若い世代の自殺は先進国では日本だけとのコメントもある。残念、まことに残念なこと。なかでも15~19歳のいわば就学年齢には胸のつぶれる思いがする。
 県内、近辺の15歳少女の自殺を巡るニュースには、やりきれない思いが重なる。どういうルートで実現したか、ご両親は直接文科省に”いじめではない前提での第三者委員会設置”の解散を訴えた。文科省も相次ぐ失態の挽回か?これに異例の素早さで対応し、市教育委を呼び出し指導した。市も直ちにやり直し調査の方向へ進み出した。この俄な動き出しにも、さらならやりきれなさを抱いてしまう。お父様の発言には敬服する。まだ緒についたばかり。曖昧な始末に終わってはならない。

 こうした問題が起きるといつも思う。何故そのとき、誠実に事実に向き合いいじめの疑いありを前提に調べないのか?完全無欠の組織なんてあり得ない。本校には自殺にいたるいじめはありませんとでもしたいのか。市教委に悪い報告を上げたくない?、学校とその上司のキャリアにキズをつけたくない?等々。 学校と市教委とのコミュニケーション/風通しの悪さもあるのだろうか。一般的に学校は市教委には遠慮が働く。当たり前だ。悪い印象を持たれたくない。切迫していなければ問題なしを装う。企業だって官庁だって組織はみな同じ組織の上司・部下間に似たようなことは多々ある。最近の一連の忖度騒ぎは、部下が上司の意向を汲んでの行為?で、業者が顧客に取入ろうとしての気働きに似ている。その忖度/気働きが良い方に進めば(有能な証し)良いがそうはいかないこともある。どのような組織でも上司(強い立場)聞く耳の大きさは重要だが、悲しいかな上司は偉ぶり、部下は躊躇する。市教委と学校の関係も同じ。学校内だって同じ。上の立場にあるものは下の(弱い)立場のものに、より意識的に添わなくてはならないが・・、実際にはなかなかに難しい。
 いじめは文科省も定義している。いじめ防止対策推進法では、平成25年施行で「『いじめ』とは、『児童生徒に対して、当該児童生徒が在籍する学校に在籍している等当該児童生徒と一定の人的関係のある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものも含む。)であって、当該行為の対象となった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの。』とする。なお、起こった場所は学校の内外を問わない。『いじめ』の中には、犯罪行為として取り扱われるべきと認められ、早期に警察に相談することが重要なものや、児童生徒の生命、身体又は財産に重大な被害が生じるような、直ちに警察に通報することが必要なものが含まれる。これらについては、教育的な配慮や被害者の意向への配慮のうえで、早期に警察に相談・通報の上、警察と連携した対応を取ることが必要である。とある。小難しい言い回し。法律はともかく、そうした事態が起きた現場では、あるかも知れない?を前提にした取り組み姿勢と強い意思力、注意力は必要なこと。
 人は子どもに限らず、誰もが、羨み、妬み、意地悪し、無視し、悪ふざけし、中傷する等の心情をもつ。それらは、幼少からの家庭生活での躾け、集団生活の中での相互の学習によって徐々に対応を身につけていくものだが、高学年や思春期など、こころの著しい発達段階には、執拗で目立たなく振る舞う陰険な行為も起こりうる。先生方は大変だ。教科の学習に当たり、日々の子どものチョットした変化にも注意を働かせなくてはならないし実際にそうしておられる。教室を覗いてみると分かることだが、どの学校の教室も担任やクラスに携わる先生は、1時間目の前から終了・帰校まで、ほとんど職員室も戻ってこない。給食はもとより、お昼休みも掃除の時間も遊びも、ほとんど一緒。そうすることで、授業中には見えない変化を見つけ、さりげなく対応されている。もちろん注意力に個人差はある。見逃すことだってある。でも、子どもの状況を気遣い、楽しい学校生活をおくれるよう心がけているのは確かなこと。だからこそ、問題の芽は早めに見つけ、小さなうちに正すこと。それを保護者も理解すること。問題から目を背けたり、うそや偽りの報告(その強弁は転落の始まり)はもってのほか。
 もっとも最近に見る権力中枢のやりようは厭な夢を見ているようで未だ覚めない国民いじめ。一強安定の民主主義とは何ぞや。人事を握ると思うがままか。これからも意向を汲み取る/忖度(ときには勝手な利用も)する傾向はなくなることはあるまい。それが人の世の常。前次官の発言を狼狽えた個人攻撃でしかできないなんて・・、政権内唯一信頼に足る人物と期待していただけに言葉もない。

 学び合う学習は、普段の授業時間中からペアやグループのなかで、聞いたり、説明したり多くの会話を見る学習法。なればこそ先生は、学習に参加できていない子どもがおれば、その周りの子どもにそっと促す。こうして子ども間の会話が多くなる分、仲間意識は高まり親しさは深くなる。決して油断は出来ないが、牛久の学校には、いじめに当たる行為は出にくい学習環境ではないか。仲間に意地悪すると、仲間にたしなめられることだろう。悪い芽は、適切な時に摘む、これ!我が家の菜園のことだ。

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