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2017年7月

2017年7月26日 (水)

あのとき 2

 7月18日、生涯医師を貫かれ、多くの人々の知る日野原重明氏が105歳で亡くなられた。予防医療等卓越した多くの偉業は後輩に引き継がれよう。実は我が父、あと3ヶ月で106歳という日に他界。足は衰えたものの昔風の教養豊かで、前日まで頭脳明晰。直前迄かつての部下の訪問を見るほどに慕われていた。つい105歳で思い出す。日野原先生、1941年聖路加国際病院の内科医となって東京に進出したという。その年、わたしはこの世に生を受けている(どうでも良いか・・)

 このたびの九州北部豪雨、福岡県朝倉市の被災状況を見るに言葉もない。大分県日田市も同様。5年前(平成24年)もそうだった。ボランティアに駆けつけたいところだがこの歳では無理、早々に義援金に応じたのみ。実は”朝倉”なるこの地には縁がある。1945(昭和20)年:終戦とともに、朝鮮半島から一家7人は博多港に引揚げてきた。父は最後の応召で軍として一日早く、身重の母は、両手に荷を持つ中1と小4の兄、1歳半の弟を背負う小3の姉を励まし4歳半のわたしを連れてのこと。その10月19日。次兄の話では旧博多駅(呉服町)近くの旅館で父と合流一泊し、翌日一家7人は父の実家、三奈木に一時身を寄せた。当時の地名:福岡県朝倉郡三奈木村。長兄は旧制の朝倉中学、次兄と姉は、金川(かながわ)小学校に編入。父41歳、母38歳。
この地は住みづらかったらしい。1週間で近くの農家の離れを購入し移転。着の身着のまま、鍋も釜も茶碗もない戦後生活のはじまりだったとか。3月の半ば妹誕生。
父は、中央(東京)でバンカーへ”との誘いを辞退して、(北九州)小倉の炭鉱に職を得る。親子8人の食糧確保を絶対優先としたらしい。落ち着き先は3世帯ずつの2階建て長屋が前後に並ぶ後列の中央だった。引き揚げ前の父は殖産銀行員。30代で支店長に登用され、頭取から将来を嘱望されていたというからエリート街道にある。父の人生、人々同様終戦で流転する。食糧確保、生活優先のこの決断、よほどの苦衷でもあったのだろう。
 少し脱線する。NHK朝ドラの「ひよっこ」。奥茨城から上京就職した主人公(谷田部)みね子のものがたり。この昭和40年は、東京オリンピックの翌年で景気の谷間であり不況だった。父はこの昭和40に定年を迎え、役員昇格をあっさり辞退して退職した。既にこのとき、長兄と姉は関東、次兄は福岡、弟は在学で札幌にそれぞれ独立していて、残るは両親と、ともに卒業の妹とわたしの4人。家財一切を処分し4月上京。19年間の小倉生活を終わりにした。東京の住まいは、長兄の申し込みで確保できた足立区の新設公団住宅だった。日比谷線乗り入れの東武線草加駅から徒歩20分もかかる。小倉に比べると格段に狭い3Kではあったが都会の雰囲気と文化生活の匂いがした。卒業の二人は小倉での就職先を辞退している。妹は進学と働きを両立させる道に。わたしの就職は不況で大変。結局、長兄(農林省技官:公務員上級職採用)の世話で昭和40年7月1日、半官半民の職場を受験。大学時代、コンピューターを学んでいなかったらもっと流浪しただろう。社会人第一歩は縁故採用だったに違いない。

 職場は世界中から先端の科学技術情報を集めて、国内にその情報を普及する役割をもった特殊法人だった。産業界にとって高度な先端情報は絶対に必要。ところが、やむを得ないことだが収集した段階では既に雑誌やニュースリリースの出版物や印刷物である。これを翻訳し3~400文字の紹介文(抄録)にまとめで出版へとすすめる。抄録原稿が出来ても、日本語タイプライターで一情報を一枚のカードにし、それを並べて編集・加工し、印刷のための版下をつくる。結局、
収集から出版まで半年もかかっていた。これではいけない、もっと早く産業界に提供せよとの要請を受けて、この出版編集プロセスをコンピューターで実現することになった。ところが当時のコンピューターは英カナ文字しか印刷できない。不可能なのである。字種の多い漢字の混じる日本語文なんてとても無理と言う時代。就職3年目、当時の大型コンピューターFACOM230-50の導入がきまり電子計算機室ができた。そこへ異動。漢字混じりの日本語をアウトプット(出力)する特殊な装置は新規開発となる。日本語タイプライター打ちしたカードから、漢字入力装置による紙テープ作成に変わる。この紙テープをコンピューターにインプット(入力)し、原稿の校正作業から、完成原稿を出版種類別に編集・加工し版下を作るプロセスをコンピューター処理することになった。その版下の作成は数本のプログラムからなるシステムになる。編成されたプロジェクトチームはメーカーの技術者と大学の経験者と先輩。システムは完成したものの夕方から翌朝までの時間でも、版下は出来ない。大変なことになった。そのころアメリカのコンピューター・メーカーは日本への売り込みのため日本語処理の技術開発に取組みはじめた。そこへある商社がからみメンバーの数人が引抜かれた。システムは未完成のままメンバーに欠員。いよいよ大変な事態となって、給与計算等のビジネスシステムの開発に携わっていた私は急遽そのチームに編入。常務理事が大学時代の経験に気づいたらしい。ここからが開運。システムを分析し問題箇所を特定した。最大の問題プログラム2本を合体して1本にし、編集・版下作成プログラムをつくる。しかも言語をCOBOLからアセンブラーにかえ作り上げた。1結果、大幅な処理時間短縮となり実用化に踏み切れることに(こうした経緯を知るものは今はいなかろう)昭和44年、NHK夕方6時のニュースで画期的技術による夢の実現として放映された。記者会見も一日に3回も開かれた。45年の大阪万博のときの研究集会で、この成果を発表。それからというもの、出版物がコンピューターで処理できるとあって、時の話題になり見学者がわんさとやってきた。プログラミング担当者として、上司の指名と指導のもと、求められるがまま専門誌や商業誌にその手法を寄稿。あちらこちらの講師に引っ張り出され、共著本まで出版した。
 たまたまコンピューター技術を先行習得していたこと。先任者が未完のままいなくなったこと。しかも英字・カナ文字しかアウトプット(印刷)出来ない時代に漢字仮名混じり文の編集技術を持っていること、で注目される。2さらに日本文で電子化された
科学技術文献情報は蓄積されていくから、そこからオンライン検索技術の開発へと道をひらくことになる。日本中で、あの職場でしか実現できなかったこと。あらためて感謝している。こうして、私は漢字処理、情報検索のプロフェッショナルの道を切り開くことに。退職を申し出てスカウトにやってきた人曰く。あなたは世界初の漢字処理技術者だと。笑える。日本語だから当然そうなるだけ。その後、日本語処理技術はは富士通を中心に急速に発展・拡大し一般化した
 今、誰もがあたり前に使う
ブラウザーでの情報検索。そのパイロットシステムを世に出したのは、わたしと3歳下の今は亡き同僚(上図)である。その後のことは、そのうち書き留める。(図は論文の一部例)

2017年7月22日 (土)

ビオトープ畑体験ほか

 本催事は8月27日に延期されています
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教育仲間のNPO法人アサザ基金さんから、こんなことをするよという案内が送られてきました。7月29日(土曜)10時に、奥野生涯学習センターに集合して、Canonさんによる写真教室とビオトープ畑の体験そして16時に解散とか。
 アサザさんは全国区の活動で、この牛久市も長く学校のビオトープほかの支援をいただいています。ビオトープ畑のある島田は奥野生涯学習センターからわずか徒歩5分。
 学校サポートの定期巡回の傍ら、その授業を見る機会がありますが、
それはそれは、見事に体育座りした子どもたちが引き込まれているあの顔こそ、自然児、子どもの顔ですな。

170729。また参加希望等は、こちらのサイト(左をクリック)をご覧になってからご判断ください。なお参加の場合は、くれぐれも水分補給のご準備を。

 

 ご注意)ほぼ一週間前の23日(日曜)に「奥野自然探検第2回」というのがありますが、こちらは奥野小日曜カッパ塾の行事と直接の関係はありませんが、アサザさんの魅力はたっぷり。

以上。広報のお手伝いでした。<学校サポーターS.H>

2017年7月20日 (木)

”まつり”、ふりかえり

 まつり!?・・つい先日7月15日の「第4回おくのふれあいまつり」のこと。今回【第4回】とある。過去3回あり。まずは、ここに至る流れを整理しておこう。この記事での記述上、表には整理番号①~④をつける。Photo 初めは2014(平成26)年4月、数年ぶりに鈴木先生が校長になって戻ってきた。市教委の土曜カッパ塾の導入元年。この土曜カッパ塾、はじめはひたち野うしく小で準備されていたが、鈴木校長は”奥野小も”と手を挙げた。奥野地区は学習塾まで遠距離。そうした塾に縁遠い児童に、類似した環境を土曜カッパ塾で提供したいという熱意。本来、土曜カッパ塾は生活・文化面に地区の方々の協力を得るのを主旨としていたが、奥野小は英語と国語の2教科を採り上げた。生活・文化面は、この地区を知る校長ゆえ、数人に声をかけ日曜(カッパ塾)開催の方向へと進み始める。
 この年は、奥野小学校誕生の50周年だった。確かに1965(昭和40)年、この地を開き校舎を新築し、分散していた学校を統合してスタートした。奥野小の由来は以前調べた
ここをクリック すると年表を表示する)。当時は、牛久町だったから、昭和61年6月1日市政施行までは、牛久町立奥野小学校。年表作成者として、の式典でどのようなスピーチがなされたか?些か気にはなる。なにしろこの学校、明治6年来の私塾に由来しているという誇りがある。推察だが前市長は、日本全国同様の人口減少下にある奥野地区の文化・歴史を大切に認識されたのだろう。放っておけば統合されそうな学校を維持しようと意図し、企画されたのだろう。奥野小と牛久二中、小と中学校、それぞれ一校をあわせて”奥野学園”を構想し、両校の特長づくりに着手する。文科省の事業にも応募した。議会の理解もあって、その後、小規模特認校指定校やおくのキャンパス コミュニティ・スクール指定につながっっていく。

 この50周年式典から地区を見直しその魅力を再認識するきっかけにもなる、毎年1回のイベント開催を意識。①と②は鈴木校長、からは青木校長。②以降は多少資料もあり、また本記事でも紹介した。
奥野サマーナイトフェスティバルは、当時奥野小別館は奥野さくらふれあい保育園となっていたから園児、児童、生徒と地域住民の参加するイベントになった。おくのふれあいまつりは、直前にあった奥野っ子ステージ"に特長づくりの取り組み成果に注目を得て取材陣もやってきた。秋には、小規模特認校試行の広報を開始する。そうした基盤を作って鈴木校長は定年で去る(以降市教委でサポーターに)。引き継いだ青木校長は、奥野小のスローガンである「できた、わかった」に、「もっとやっていみたい」を加えた。学びあう授業も、特色づくりも新味を加え発展させている。こうして、かつての奥野学園構想は、保育園、小学校と中学校に絞り正式な呼称をおくのキャンパスに。Photo_2
今回の第4回おくのふれあいまつりは、昨年11月の小規模特認校、今年3月のコミュニティ・スクール指定を受けて最初のイベント。開催日時やプログラム構成に課題はあるにしても、確実に年一回のおくのキャンパス挙げての行事となるように盛り上ってきた。
月15日:この日の様子は牛久市役所SNSにある。当方の描写より優れた記事につき、そちらをそっくり拝借させて頂く
(発信者承認済)2_2左図には「もっと見る」と記事の延長を促す部分があるので、そこもこの際紹介しておこう。牛久市役所は、29年度の組織改革にて市長公室のもと広報政策課がうまれた。これからは市民活動課等とも連携した牛久市のトータルな広報に整備・発信されてゆくだろう。市民として牛久市役所のFaceBookを【お気に入り】に加え、みんなで応援しませんか。引用した記事は、今日現在5番目にある。
註:本記事中の下線付き文字にはリンクがついています。クリックするとリンク先サイトの表示です。ご覧ください。)

ps)第4回おくのふれあいまつりは、奥野地区体育祭と同じく学校行事になった。午前中は授業、午後イベント。そして振り替え休日をもうける。それだけに先生方の推進力は一層強まったが、地域住民色は薄くみえた。おくのキャンパス学校運営協議会の決定にもとづいての実行だが、そのチームはどういうチームか、どのように地区に広報するか?プロセスがみえない。コミュニティ・スクール元年だから、これで良いのかも知れないが、時間がかかっても地区を巻き込む方が良かろう。多忙な先生方の大きな負担になってはならない。
ps2)参加者に市長、議員1、教育長、教育委員3,市教委次長1,課長2、メンバー数人、行政区長4、地区社協メンバー数人、PTA役員・保護者等、前回より増えた。しかしキャンパス出身の高校生(今回は数人)や大学生、それに60代、70代の地区の方々(かってはPTAだったはず)は少ない。これらの方の参加を多く見かけるようになれば、コミュニティ・スクールの動きにマッチする。いかに働きかければよいのか課題である。まずは日常顔を合わせる機会をふやすことなんだろう。

2017年7月15日 (土)

学校運営協議会

 おくのキャンパス学校運営協議会の新しいパンフが出来た。これまでの内容を網羅し分かり易く変化。作成は牛久市教育委員会放課後対策課おくのキャンパス支援グループ。2okunocanpusuneikyougikai_2
 ご覧の通り右端にキャンパスの目標をおく。「地域とともにある学校 おくのキャンパスコミュニティ・スクール」と前置きして夢と希望を持ち、おくのを支え、未來にはばたく児童生徒の育成」とたからかに。この目標、二中生徒会の発表にも見た。奥野おくの表記するのは、牛久うしくとするのとおなじ、ソフトな印象。今年3月、おくのキャンパス(保育園、小学校、中学校)はコミュニティ・スクールの指定を受けた。地域の中心は学校。その学校を舞台とみると当然、主役は児童であり生徒である子どもたち。キャンパスの目標は、彼らに将来そうあってもらいたいとの思いをもち、その環境を整えて育てること。育成の中核を担うのは先生。しかし先生・学校・市教委にお任せではなく、おくのキャンパスに学ぶ子どもたちは、先生と地域の大人達(保護者に限らず)とが、そのもてる力を持ち寄って共に育成していこうではないかというもの。子どもたちの社会デビュー時に、ほんの少しでもアドバンテージを持っていてほしい。小規模校の特性を生かして国際理解教育という英語力、ESD教育という地域の自然、歴史、文化を識っていて語れる子どもたちになってほしい。

 コミュニティ・スクールの考え方は、文科省から官僚らしい言い回しの資料が仰山あるが、一枚のA4に盛り沢山の情報にて凡人の我等には分かりにくい。その点、牛久市の資料はシンプルでよい。本来は口頭説明のつくパワーポイントによる資料だが、PDFにしたのでアップする。10ページほどにらめっこしてみて(ここクリックで表示)。1
この資料の9ページ目(右図)は、上の図の”おくのキャンパスにある学校運営協議会”に対応する”地域・学校協働本部”もある。この両輪がそろって連携して、キャンパスの目標を達成しよう/し続けようというもの。繋ぎ役として、コーディネーターを数人、いる。3月発足の運営協議会構成員は、このコーディネーターの代表を含めて17名。多くは公的な立場にある方(奥野さくらふれあい保育園長、奥野小・牛久二中校長・教頭、PTA会長、奥野生涯学習センター所長、奥野地区区長代表、奥野地区社協会長 等)。他は普段から学校をサポートしている方々数人。その数人ほかが、キャンパス応援団を任意につくってWebによる情報発信をはじめている。それがSOKA 3okunocommunity_2
 当面、学校が、企画から運営を主導するが、発展すれば地域民がその主な活動を担うのが望ましかろう。なにそろ学校は多忙である。普段見ている。
7月15日(土曜)のおくのふれあいまつりは、キャンパス学校運営協議会最初の大きなイベント。次は、10月にオーストラリアからホームスティでやって来る面々の受け入れ準備。土曜・日曜カッパ塾は最早、定着した日常である。これらの動き、一歩一歩だが確かな歩みになってきた。

2017年7月11日 (火)

おくのふれあいまつり

 おくのキャンパスの催事:おくのふれあいまつりを、この週末15日14時40分から花火打ち上げ終了19時30分までにて、奥野小グラウンドで行われます。
    第一部 保育園・小・中学校の交流タイム
    第二部 地域交流タイム(バンド等)
    花火:閉会行事 (下記の通り)
  主催は、おくのキャンパス学校運営協議会 事務局は奥野小および牛久二中

 参加自由。就学、就園にかかわらず、自由に参加できます。おくのキャンパスの指定を受けての初めての催事。 屋台等もでます この際、おくのキャンパスの様子を地域住民の交流に中にご覧頂ければ幸いです。

駐車場は、奥野小第二グランドのほか、奥野生涯学習センターの駐車場をご利用できます。<おくのキャンパス運営協議会委員S.H>0715

2017年7月10日 (月)

奥野小地区社協

06251 29年度折り紙教室第1回は6月25日開催。講師はいつもの小坂団地Eさん。この日の課題は、手長ザルとお相撲さん。ふと会場みると、応援に新たな顔二人。どちらも面識がある。聞くと、この教室に先立って事前の準備会をおこなったのだという。そういうものか。あらためてサポーターの皆さんの陰の活動にも感謝する。そういう私も、おくのキャンパス応援団のひとり。
 7月8日で、夏休み前土曜カッパ塾は前半を終了。運営が、市教委放課後対策課から地域コーディネーターに移っての前半、流れが見えてきた。
06252カッパ塾開催当日の玄関の開閉、それ以前の諸々の準備段階もすべてコーディネーターのお仕事に。引継ぎ運営のスムースは、この日、ウン十年前に誕生したベテランさんのおかげであり、頼りになる。右図は、折り紙のお相撲さん。早速取組み。土俵の端をトントンと。子どもの頃、雑誌の付録だったか、似た大きさの関取を厚紙でつくって同様な遊びをした。懐かしい。
 奥野小には、多くのサポーターがいる。ボランティアの応援団。ドングリの会、読み聞かせの会、更生保護女性の会、地区子ども会育成連絡会等々。行政としての地区区長会も地区社会福祉協議会も。地区住民としてはあれにもこれにも属している。土曜・日曜カッパ塾に携わって4年目。奥野小ってずいぶん応援がいるのだなと奥野地区の人々の協力する身軽さに感謝。
昨年秋、奥野ふれあい保育園、奥野小、牛久二中はひとくくりの愛称【おくのキャンパス】になった。
小規模特認校にも正式になった。文科省の基準では、確か200名以下は整理統合の対象になるはずだから、二中は、もろにそうなるところだが、牛久市は奥野地域の歴史と文化と、地区住民の日頃の協力体制に配慮し学校を残す方向で、文科省の事業に応募したり、特色づくりをしたりの努力をしてくれている。行政としては、出来ることには手を尽くしている。これからは、地域住民が推進力を取り戻さねばならない。
Cs3 おくのキャンパスは、3月におくのキャンパスコミュニティ・スクールにもなった。左図は、その体制図。構想はそのまま実行に移されている。これまで以上に地域のみんなの力を寄せ集めて、子ども主役、学校を舞台とした活動を盛り上げよう、毎年続けようということ。図中の学校運営協議会が企画のもと二つのプロジェクトも出来た。既に、7月15日土曜開催の「おくのふれあいまつり」と10月6日にオーストラリアからやってくるホームスティの準備のプロジェクトは動いている。”おくのふれあいまつり”の簡単な案内は右図に。図をクリックすると拡大する。0715_3
 地区社協の事務所兼活動場所は、昔の正直保育園。古い建物だが、玄関正面に「牛久のたまり場宣言」なる額縁入りの一文がある。06253そのまま引くと多くの年月が流れ 多くの人々が生まれそして逝った 牛久はたしかにその舞台 東京近郊に位置し 多くの人々が帰ってくる 新しい故郷 古くから住み続けた人々と 移り住んだ新しい暮らし 牛久は確かにその舞台 かけがえのない命を 子どもたちに伝えたい かけがえのない心を 家族に伝えたい かけがえのないつながりを 地域に広げたい 牛久は確かにその舞台 今生きる私たちにとって 地域はたまり場 牛久はたまり場(次図は引用作成)とある。

06253_3 作者不詳のこの一文。韻を含んで読むと一層心に伝わってくる。この実感、そっくり私たち夫婦の気持そのものだ。昭和48年7月1日、私は身重の妻と二人の幼児をともない、足立区の公団住宅から小坂団地へと移り住んだ。この地で3番目誕生。3人の子どもは揃って牛久第一幼稚園、奥野小、二中に学んだ。今は、夫婦二人。この地に感謝している。この地が好きだ。なればこそ、この奥野に学ぶ子どもたちの行く末に、多少なりとも役に立てれば幸いと生き抜ける<小坂団地19班S.H>

2017年7月 9日 (日)

校内研修:佐藤先生

 前回に引き続き、3日間のスーパーバイザーは富士学び工房代表佐藤雅彰先生。お人柄か先生方を応援する・寄り添う気持ち丸見えの堅苦しくない講義だったのでその紹介。実はあのとき数枚の写真をとった。残念ながら3月にガラケーから切り替えたスマホの扱いに未だ慣れず、どれも不鮮明。でも今一度振り返りたいと、厚かましくも資料の提供をお願いした。以降使用する資料は雅彰先生提供およびその編集である。
 まずは、班学習、グループ学習のこと。07106_2先生方には当たり前、知っていようが復習のつもりで整理。両者には明らかな違いがある。学び合い学習においては、誰もが、一人ひとりが相互に支え合う助け合って、問題・課題に取り組み、多様な意見のもとでまとまりを得る。結果も過程も子どもたち自身の体験、ノウハウになる。班学習は一斉授業における活動で、概ねリーダーが現れ、その指揮のもとにどんどん進む。私たち(学び合い学習)が求めている学びは前者である。何しろ一人ひとりの学びを保障するのだから、仲間は仲間を置き去りにしない。
07101_3 前記事の末尾記載の中教審教育課程部会の答申。アクティブ・ラーニングと学び合いの関係性の図示。どのように社会・世界と関わり、より良い人生を送るか。そこを目標としたときに、個別の知識・技能思考力・判断力・表現力等を教育において実現させていくプロセスを表しているようだが、結局は、①深い学びであり、②対話的な学びであり、③主体的・協働的な学びで、まさに行き届いた学び合い学習を日常とする教育の場で養われていくもの。牛久市あげて実践しているこの真正な学び(教科の本質に即した学び)をさらに磨きあげていくことは間違っていない。毎月の校内研修は大切な磨き上げの場。
07103 学び合い授業においての重要な要素は、学び(授業)のデザインと授業時間中の子どもの学び具合のみとり、時間のコントロールにあるとみた。いずれも容易なことではない。デザインは準備段階。そこで授業中に想定される事態をどこまで考えておられるかが、臨機応変な対処の前提になる。ベテランほど引出しは多いのかもしれないが、その点は先生個人の努力のほかに、同僚との研究、校内研修での協議は、向上心に充ちた先生には生きてくる。デザインは学力底上げの共有課題と、より挑戦・発展的なジャンプの課題の用意。07102_3クラスによっては、共有課題はやさしすぎるかどうか?子どもの反応で大勢を読みとれる。全員が分かってしまうレベルでは、その時間つまらなくなる。難しければ戸惑いを見せる。クラスの半数程度に、わからなさが見てとれればペアであったり、4人グループにして、支え合い助け合う学習へ。先生は教えたくなっても教えてはならない。とはいえ、全員が戸惑い壁にぶち当たれば、ヒントとして考え方を示してもよいという。前の前の記事校内研修:3年算数)だそうだ。その日の雅彰先生の例示;算数において1年生では、○(まる)図。2年生では、簡単なアレイ図やテープ図。3年生では、線分図。4年生では、関連図等があると。最近は、学習塾に行っている子が多くなって、教科書ベースの共有課題では、既にわかっている子どもも存在する。それでもグループ学習に参加できていて、教えて!に対し支える子は、教えることで学びは自身に刻まれるし、友達に対する理解も深まるから人間力の養成の一助。そうした協働して課題を考え結論に導く体験は、後々に生きてくる。雅彰先生は、分かり切っていて授業が楽しくないとみられる子には、その子の理解の先をここを考えてみてと促すことも必要という。なるほどそういう場面もある。分からない子もわかりきっている子も、見捨てない、孤立させない目配りを言われる。授業の前半の共有課題は、それ以前に習っている知識の上に、教科にそって新たに考える要素を加えたもの。後半のジャンプの課題は、共有課題を理解した子にさらなる意欲を引き出すものの位置づけ。
07104 左図のスクリーンへの表示では、パッと見すぐには理解できなかったが、ジッと眺めれば言わんとすることは分かる。要はデザインと授業のコントロール。とりわけ子どもの学びの見とり、それもわからなさの見とりは大切、校内研修を通して多様な視点を得、積み上げるほかにない。二度と同じ場面はあるまい。クラスそれぞれに個時差もあること。

熱心に聞いておられる先生方に、教育の専門家としての成長を右図をもって語っておられた。子どもの将来に対して、今、大きな可能性の芽を養う使命を負っているのは先生。先生もサラリーマンであることは分かっているが、やっぱり教師であってほしい。07105_2”わが師の恩”の「」。大人に成長したときに、あの先生のお蔭といわれるほどの師であってほしい。但し、わが身の健康と家族はゆるぎのない存在として大切にしたうえでのこと。
 このシリーズの最後にあたり佐藤先生からのメッセージを下図に。07107_2なんと、牛久の掲げる”子ども一人ひとりの学びの保障”がヴィジョンとして示されている。そして、子ども達に対して I am here for you. であって欲しいと。<学校教育サポーターS.H>

2017年7月 8日 (土)

校内研修の価値

 3日:中根小3年算数に続き、4日はひたち野うしく小:2年算数、5日:下根中:1年理科の焦点授業。この三日間、スーパーバイザーは富士学び工房代表佐藤雅彰先生(以降「雅彰先生」という)。07044ひたち野うしく小には塩釜市教育委員会からの26名を含め全国各地から計70名を超える参加者(市内を除く)があった。当初は61名の予定。ふえたので急きょ隣りのクラスも同様に算数をとりあげた。隣りあう2クラスともに2年算数の公開授業。この学校はニュースタイルの教室である。教室横に広いユーティリィスペースがあり07041_2教室の壁を収納することで参観者にゆとりをもって見て頂けるというわけ。公開授業中、観察の傍ら先生が留守の教室を見まわることにしている。どのクラスも自習となるが整然とした学習。低学年に立ち歩く子を見ることもあるが稀なこと。実は他校も同様だ。偶然PTAの役員にお会いした。その話によると校内研修のときは、教室の留守番役を保護者がボランティアで荷うという。
 焦点授業後は、全体セレモニーもほどほどに参観者も含めての研究協議にすすむ。子ども同様に先生も数人のグループをつくり、見た授業の意見交換と協議。07042
その内容は提案者に役立つように発表され共有する。締めくくりは、雅彰先生の講話講義というほどの堅苦しさはないからこのように)。実は雅彰先生とは昨年秋の下根中が初対面だった。子どもの学びのみとりに強く響くものがあり、今回は3日連続だがその教えには是非接したいと心待ちにしていた。一日一日に収穫を見た。学び合い授業の各教室や、校内研修の参加は昨年5月からのことだから、まだまだ日は浅いが、観察していると、教育長の方針と学校長と先生方、その関係性が見えてくる。会社でTQC(全社的品質向上運動)を導入した経験がある。情報産業のように多少、インテリっぽい組織には、工場から発展した品質向上運動を素直に受け入れない土壌があり抵抗にあった。それって何?という視線。失礼だが先生も同質だろうから授業法のこの改革、どう進むか関心があった。実際平成17年学びの共同体導入と記録にあるが、しばらくはいまほどの成果はみない。
 正直なところ、教育長の掲げる一人一人に高い学びを保障する」なんて公教育でそんなこと言って大丈夫?という印象だった。先生は定期異動で毎年2~3割入れ替わるから、スムースな導入・定着は困難か?と思えば、そうでもなくなってきた。振り返れば現教育長になってからの着実な変化。必要な手を打つ、まさにマネジメントがそこにある。ご自身、神谷小校長の時代に雅彰先生に学んだ。その経験を下根中校長のときに本格的に実践し、その成果は新聞や教育雑誌の記事になった。教育長になられ、その経験は、全校実施の仕組み・ノウハウとなって伝授となり、校長先生の理解を得て市内全校に普及している。
実践の手順は具体的。委員会指導課には経験者がいる。指導主事は、計画/随時/不意(当初、今はない)に訪問指導に赴く。29年度は更にこの手法を熟知し推進者でもあった前校長を委員会に常駐(市長・市議会の理解)し、各校の相談相手になっている。こうしてひとり一人に学びを保障するという高い目標を、具体的に実践するプロセスに、サポートの手を打っている。もともと、教師は専門性が高く、自分の授業を同僚に見てもらうということは、プライドが許さないものだと思っていたが、それは杞憂にすぎなかった。心からではない先生も中にはいようが、皆さんオープン。児童生徒も落ち着いたもの。学び合い授業法の理解と経験の差は確かにみえるが毎月の校内研修もあり、先生方は、ひとり一人に学びを保障するには?と問題意識をもって臨んでおられる。この手法は有効だと理解すると先生方の能力は高く、子ども好きもあって努力を少しも厭わない。
 昨年の校内研修観察では、提案(焦点)授業を同僚が見て、協議研究の場で提案者に、誰々はどうだったよ、といった気づきにくいところをフランクに話していて、それだけでも授業中の子どもの学びをみとる視野は広くなり参考になるとみていた。さらに不認識だったが、子どもは担任のみならず、学年全体、子どもによっては先生方の多くが念頭にあり関心をもっていることに驚いた。雅彰先生の指摘は、同僚の先生とは違った点を録画の中から再生し、その場で具体的な指導となる。フ~~ム、なるほどと頷ける。

 今回の講師指導では、これまでにない話題があった。文科省推進のアクティブ・ラーニングの動向。昨年10月の中教審で、アクティブ・ラーニングはやや控えめ(トーンダウン)になったとか。その理由。
 1.発表といった活動(型)ばかりをイメージさせるという懸念 2.思考力の基盤となる知識の定着までなおざりになる可能性  とある。方向として間違っているわけではない。小グループ活動を形式的に組み込む傾向への一時停止だろう。学び合い授業におけるグループ学習と同様なグループ学習を期待したのだろうが、そのように進んでいなかった、ということか?
 同年12月の教育課程部会答申では、21世紀の学力とも合致するが、育成すべき資質・能力として1) 何を理解しているか、何ができるか生きて働く知識・技能の習得)。 知識を獲得する過程で2) 知っていること・できることをどう使うか未知の状況にも対応できる「思考力・判断力・表現力等の育成) 3) どのように社会・世界とかかわり、よりよい人生をおくるか学びを人生や社会に生かそうとする「学びに向き合う力・人間性の涵養 とあるのだそうだ。社会人になれば誰もが直面する課題でもある。
このつづき、佐藤雅彰先生の資料は次記事へ<学校教育サポーターS.H>

2017年7月 4日 (火)

校内研修:3年算数

 7月3日(月)、中根小の校内研修会に午後、出向いた。5校時:3学年「算数」の焦点授業。先生のテーマは「具体物の操作や図で表す良さに気づき,一人一人が自分の考えをもてるようにしたい。」とある。つづいて、そのデザインシートには、1.単元名:わり算、2.目標、3.授業者の思い、4.本時の目標、とA4サイズ一枚で参観者へ提示。スーパーバイザーは、富士学び工房代表佐藤雅彰先生。市内はおろか近県・遠方から数人の参観者。07044_2もちろん、この学校はグループ学習時の児童一人一人の学びを先生方分担して観察していて、直後の授業研究協議会で簡潔に発表することになっているから同僚も。参観者、ゆうに40人は超えていよう。

 授業は、学習課題(ここでは【ジャンプの課題】)を確認するところからはじまる。その課題、結構難しい。「3年5組の人数は35人です。4人のグループと5人のグループを合わせて8つ作り,全員がどちらかのグループに入るようにします。4人グループと5人グループは、それぞれいくつできますか。」
 大人は暗算する。これくらいなら習慣に近い。これを学びあう授業では、どう?すすめるのか。課題の認識からはじめる。問いの意味をペアで話し合って共通認識へ。図や式を使って答える方法をグループ(男女二人ずつ対角線に座る4人。真向かいは異性)で考えたりするが、容易には解の方向も出てこない。当然なこと。これって中学の二次方程式:X+Y=8、4X+5Y=35だなと浮かべるが、算数でとくとなると~~興味を津々。 二度目のグループ時に数人の児童が図示しはじめた。用意されていたおはじきをつかって、関わろうとする女児がいた。分かる子が教えるのではなく、分かりそうな子が分からなくて困っている子と、おはじきを使って協同して学び合おうとしていた。先生は、数人の図示を黒板に貼って、それぞれの考えを聞いた。070441ほんの数人、算式をだしてもいた。4人グループは5,5人グループは3と分かったが、ほかの子に説明できない。直感での正答はプロセスの理解に及んでいないことがあり、他人へ説明できない。学び合いは正答に至るプロセス:どう考えたか?が重要。協同してわかり合えたことがもっと重要説明できることは、解いていく考えが身につくということ。他に応用できる。
 グラス全体としては壁にぶち当たっていた。学びに飽きる児童もでるから分かり易い。あとの佐藤雅彰先生の話で分かったが、クラス全体に行き詰まりが見えた際は、チョットしたヒントを与えて良いのだそうだ07046_2例えば、左を示し問題を整理し、07047_2更に右図のように、表を与えグループみんなで空欄を埋める。みんなが出来た頃を見計らって07048左図を見せ、クラス全体で、表を使う手法を知る。佐藤先生の研究会での話には、1年生では、○(まる)図。2年生では、簡単なアレイ図やテープ図。3年生では、線分図。4年生では、関連図、とスクリーンに表示された。行き詰まりに目先を変えることの大切さ。
07046 学び合いにおいては、先生は教えてはなりませんと強調するあまり、ヒントも拙いことかと勘違いしていた。もっとも、ヒントを与えるタイミング/加減は難しい。全体に行き詰まりが見えたら、新しく考える糸口となるアプローチ法を示すことで、おぉ!算数って面白い!と興味を沸かせるのが良いという。なるほど、そうか。
07044 15時過ぎからの恒例の授業研究協議会は、3階音楽室にて全出席者でおこなわれた。一通り担当グループ・児童の観察報告があった後。佐藤先生の講義ではない、講話に移った。以前もそうだが、誰もふれることのなかったシーン(前述の朱文字部分)をしっかりビデオに撮っていての解説。賞めて下さって気分良し。先生だってそうに違いない。そういう観察眼が参考になる。たのしい講話に先生方は、前のめりで聞いていた。小生も。ハプニングが起きた。07041佐藤先生から問題が出た。「28-9=29」と計算する子がいた。「26×3=96」もいた。「さて、どうしてこうなるか?考えてみて」と。少し考えあぐねた。すると「グループになって」と追い打ち。まさに先生による学び合いコントロール。何故こうしたこたえになるのか?が焦点。そんなぁ~と否定しては始まらない。07042_2解説は、左図。児童である、素直な子でもある。大人には思いもよらない考え方をもっている場合がある。駄目ではないか、では教えにならない。何故そうかを解明し、そこを正すように指導する、そこに先生の醍醐味があると。教室での授業は、分かっていることを教えあう学び合うのではなく、わかからないことを学びあうのがグループの良さ。大勢では難しいとき、ペアもよし、グループもよし。そして最終的にはクラス全体が「分かった!」「もっとやってみたい」が理想的な授業をデザインなんだろう。少々苦痛だろうが、チャレンジングで面白い。だから、先生方の情熱を応援することに決めた。<情報教育サポーターS.H>

ps)この学校の面白さ。07043参観訪問時の資料に「7月のチャレンジ目標」というのが添えられた。年間計画はホームページ上にある(クリックすると新ウインドウ表示。研究主任にお尋ねした。年計後に、月々の目標も示したいのだと。会社同様。年計を4半期、月毎に展開する。それを年計目標はGool、月々は、ターゲット:Taraget と呼んでいた。届きそうな目標に絞る/ブレークダウンしないとあきらめることがある。校内研修にも似たところがある。
もうひとつ、今日:3日の焦点授業の先生。本校2年目と校長先生からメールを戴いた。実際に授業を見て、早くもこの水準かと・・。研究主任の取り組みが見えてくる。7月の目標、何度も見ていてもみたくなる。

2017年7月 2日 (日)

毎日、新鮮野菜

 隣が畑というのはいい。仲間と分かち合う作業というのがなお良い。日の長いこの時期、早朝5時には誰かが手を入れている。それを2階の小窓からチラッとみて、なんだかホットする。その畑、4月23日は「苗植えて我が家に春」だった。植え付け後の5月19日はなんとミニハウスつきの記録を撮った(左)170519_3aその後、どれもこれもすくすく育って今や毎日が収穫だ。昨日も一昨日も、朝どれのキュウリやナスにミニトマト等が食卓にならぶ。ズッキーニは新顔で贅沢なもの。スーパーのものとは明らかな違い。ただ収穫が多くなってきた。お互い交換したり。娘に実家のお土産とするが、それでも毎日ともなれば残りがち。こうなることは、分かっているから苗数も絞ったのだが、ついついこうなる。仲間も同じ。そこで、ご近所にお裾分け。お陰で会話は増えた。日中の作業中にも、散歩の方からのお声を戴くことがある。
 ふと、とある光景が思い出された。子どもの頃、貧しかった頃の近所づきあい。味噌・醤油の貸し借りがあったかどうかは記憶にないが、何かを戴いた時、母はその器にマッチ(当時の大切な日常品)の小箱をそえてお返ししていた。それが昭和40年(1965年)の一家の上京3Kとはいえ当時憧れの公団住宅に住んでからは消えた。そもそも隣近所は全くの他人同士になった。たまの旅行のお土産のほか、他人様に贈る/戴くということはなかった。社会人生活はこうしてはじまった。ともかく働くこと、ものが豊かになることばかりが目標だった。今にして想えば物狂いと言っていい。比して最近のとりたて野菜のやりとり。会話の量のほかに、胃の腑に落ちるという意味が分かってきた。ほんもののご近所づきあいになってきた。東京への通勤時もリタイヤ後もまったく気が付かなかったコミュニティの密度。今の今まで気づかなかった。お粗末。
 5年前の班長の時に、生い茂り野鳥の立ち寄り先となって大迷惑な木々をご近所の有志で伐採し根を起こした。雑草地になって3年目の昨年から希望者5軒ではじめた畑作業。今の実りで分かってきたこといくつもある。声をかけ言葉を交わすというだけでなく、普段の食卓にのぼるものを、何のてらいもなくできることで、ふつふつと沸く豊かな気持ち、心地よい。A170702sa右は雨上がりの今朝。先ほどまでいた仲間は朝の食卓か?姿を消している。

 おくのキャンパス(奥野小・二中・ふれあい保育園)は、3月におくのコミュニティ・スクールになった。コミュニティ、地域の人々の息づかいを感じるほどのおつき合いは、小坂団地住人同志でもほど遠いが、ほかの11行政区の人々には、長い長いご近所つき合いが、かつてはあっただろう。子どもが少なくなって、お互いに歳をとって、集落の祭事も継承するものもなく立ち消えて、今や往年の面影もないおつき合いなのかも知れないが、この際、新たな気持ちでスタートすればよい。その機会が7月15日の奥野ふれあいまつり。奥野小校庭で開催される。14時40分から花火の打ち上げ終わりまでなら19時半。昨年も同様に催した。そのときは、園児、小学生、中学生の交流。保護者たちに奥野小地区社協の皆さん、屋台をだす商店街のおじさんおばさんもいらした。奥野小50周年にはじまったこの催し、奥野地域恒例の行事と致したいおくのの人々、みんなあつまれ~~。いま現在、そこに通う子がいようがいまいが、奥野小にあつまって、これから先の奥野地域・コミュニティの有り様を想像してみようではありません。今朝の写真は雨上がりでどんよりとして暗いが、お昼頃には晴天の夏日になるとの予報あり。下はお昼。右は仲間。A170702z_2_3A170702z_3_5
<奥野小・二中 学校運営協議会委員S.H>













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