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2017年9月 7日 (木)

しばらくは、不定期・・・

 しばらくの間、記事は不定期発行になります。
 作成途中の記事2本、差し込む資料の出来上がり1本、話題はあるものの記事に仕上げる気持ちになれない。 

 8月19日の次兄の信じられない死。ダメージを受けています。病名:十二指腸ガン。膵臓、肝臓への転移によりステージ4。検査入院し出血は次第に大きくなったようだが日常生活での”どうも変?!”から、わずか25日、最後の一日は24時間にもみたないで逝く。この急変、受け入れ難い。突然、目の前から消えた。兄とはLINEも利用していたので、日々数通の受信があり整理できた。せめて、聞いたこともなかったこのガンの怖さ、一般に知ってもらう方がためになると、あえて一部を公開に。
----主な通信----------
7月26日(水曜)17:40
Skypeパソコン画面越しに「ちょっとムカムカする。検査に行ってくる。」
7月27日(木曜)16:17
LINE:「胃カメラ・CTを受けた。胃ガンが見つかった。データをもってかかりつけの医師に相談する」。
 大きな病院への紹介状をもらい7月31日(月曜)検査入院決まるこの病院には毎月一回通院していた。
7月31日(月曜)15:20
LINE:「12時50分入院、胃カメラ検査、血液検査、呼吸量検査、書類本日分終了。明日胃カメラなど予定。まだ輸血なし。妹弟に連絡頼みます。」
8月 1日(火曜)15:03
LINE:「12時から胃カメラ、CT同時進行。出血多くCTで場所探し。輸血二本目。明日外科医の説明を得る模様。」
8月 2日(水曜) 7:49
LINE:「おはようございます。変わりはないですか。昨夜は輸血4本しました。いま点滴2本目中です。本日再度胃カメラで出血が止まっているかや採取があります。外科医の説明もあるようです。」  つづけて日様のスタンプ受。
8月 3日(木曜) 8:29
LINE:「いま医師の診あり。今朝の血液検査は二桁台に回復。これは昨日の輸血二本の効果か?出血止まらなければ退院できない。きょう再度外科医の診断あり。元気です。」
8月 4日(金曜)10:04
LINE:「きょう腫瘍内科を受診します。」。16:14LINE:「12しちょうガンで転移があるのでステージ4大腸ガンに準じて抗ガン剤治療を行う。手術、放射線はリスクが大きすぎるから、ガンと上手くつき合う治療を行う当面、出血場所の特定と治療をする。以上です。心配かけて済みませんが、精一杯頑張ります。よろしくお願いします。」
 ※(これ以降も毎日、
LINE数通受信。8月11日(金曜)11:40~55電話:状況を聞く
8月14日(月曜) 9:12
LINE「おはようございます。今はお盆休みですか。・・・」 (この日、治療の説明を受け同意書を提出抗ガン剤治療開始)。10:35LINE:「10時にポートに注射針を刺し、10時30分から吐き気止めの点滴開始、11時終了予定。その後、抗ガン剤点滴の予定です。」
 ※
これ以降も15,16,17日と受信
8月18日(金曜) 6:56
LINE:「おはようございます。・・・・・」。14:06LINE:「きょうの気分は一番悪い。・・・脂汗をかいた。昼食、パス。・・・」。 18:39LINE:「夕食を2割ほど食べました。(息子に)明日はゆっくり来てください」
8月19日(土曜)LINE受信ゼロ  22日の医師訪問面談にて前夜から大量の吐血で処置にあたっていたと
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8月19日(土曜)
18:00電話:甥(兄の息子)から「前夜からの出血で、患部の血管を閉塞する緊急手術をした。月曜日に今後の治療方針の説明がある。『伯父さんに立ち会ってもらいたい』と父がいっている」と。
 同19日(土曜)20:13電話:再び甥から「19時から容体急変20時2分死去」と。

何が何だか分からないまま、8月20日(日曜)通夜、8月21日(月曜)告別式(家族葬)と進める。22日病院に医師を訪問。疑問を持ちつつその説明を聞いた。ロジカルには理解した。

 兄とは5つ違い。福岡居住。一人息子は上京して仕事に従事。定年退職まもなく義姉を亡くし一人暮らしになった。それからは互いの健康チェックも兼ねスカイプを加えて密に連絡を取り合っていた。母は米寿を迎えた平成7年に逝く。当時91歳の父、病床の長兄、その他6人兄弟姉妹の家のまとめ役として西の次兄が要、東は私が支える。
昭和40年の父母の上京からは東京が一家の中心になった。多くの弟妹も関東に住む。かつて終戦の昭和20年10月私達親子は朝鮮から引き揚げほんの一時期、福岡県朝倉郡に住んだ。ほどなく北九州小倉に移る。それからは
いろいろありすぎた。お陰で一家は結束し、親孝行は兄弟姉妹の誓いとし最重要最優先だった。母亡き後、高齢の父と兄弟姉妹への愛になり、それぞれも一層家族を大切にする。次兄は度々上京してきた。父がホームに入所してからも、父の意向をくんで家族葬ほかもろもろのルールを兄妹会議を開いてまとめた。平成22年、父、長兄とあいついで他界。一家8人中5人の年長者になっていた次兄。 精神的な支柱であった。
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 これから、私の活動の時間配分は変える
約束でもある兄代わりを努める。凍結していた終活を再開する。自分にしか分からない事項につき、修正し加筆する。引き受けている情報教育サポートはこれまで通り継続。”おくのキャンパス・サポート”及び”学び合う・協働的な学び授業の理解と現場の先生方のエールにも、できるだけの時間を割く。この順。よろしくご理解いただきたい。<おくのキャンパス学校迂遠協議会委員S.H>

PS)検査入院から死亡までは上記の通りだが、過去の次兄との交信記録を総レビューしてみた。3月までは全く異常なしとある。4月に”足下がふらつくことがあり、血液検査でヘモグロビン値の異常が見つかった。(かかりつけ)医師の助言でレバー等鉄分を定期的に摂取しているとスカイプで話していた。歩くときは、ときどき休憩を設けるともそれでも普段のように上京してきていたから私達には全く普通に見えた今思えば、ヘモグロビン値の異常を、深刻に受けとめるべきだった。それこそがこのガンの兆候だったのだろう。”それは貧血でしょう”程度にしか見ていなかった
思い出した。入院中の11日昼前
病室から吹き抜けのある電話可の場所に来たと、不意に兄からの電話。「何か自覚症状を得ても、自分から行動しなくては解決しない。○○はあてにならない」と言い添えていた。全て自己責任と言うわけ。既に遅し。

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