カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

2018年7月21日 (土)

二中に幹部候補生

牛久二中にアジア8カ国の政府幹部候補生がやってきた
    
この記事はSNShttps://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1593927697382449と連携している。
 6月6日SNS発信記事の続報。20日(金曜:終業日)9時30分、牛久二中は地方視察としての一行を出迎えた。東南アジアの各国政府の幹部候補である研修生27名(インドネシア、マレーシア、ベトナムほか8カ国の若手官僚)と政策研究大学院大学2名、西原先生(立教大学:知識創造)、同時通訳2名の総勢32名にアサザ基金の3名。
 9時40分からのオリエンテーション後、「おくのキャンパス」の実践を主題にスライドにて牛久二中校長が説明し質疑。ついで1学年の英語の授業見学で生徒と研修生との交流。この学年は小学4年生時からの週3日(15分/日)のイングリッシュタイムを体験している学年。その成果か?生徒の誰もが積極的に話しかけていた。11時からはアサザ基金代表から霞ヶ浦水質浄化にかかわる各プロジェクトの説明を丁寧にすすめて質疑。11時40分一行はバスで午後の訪問地に向かう。宗教上の理由で昼食は弁当を手配しバス移動中の食事と聞く。JICAさんの同行。同時通訳等緻密な遂行にある。
 今回の二中訪問をプロデュースしたのはNPO法人アサザ基金。当初は島田地区の古民家にも案内する予定だったが、バスの入れる道ではなく徒歩ではこの日、暑すぎて無理と判断し見送る。
 研修会場は2階図書室。英文の資料を個人配布し液晶画面に表示しての進行。二つの話題は関心深いようで、熱心に聞き入っていた。奥野地区
(昔「奥野村」→「牛久町」に合併)は高齢化し少子化し過疎化の進む地区。しかも周辺地区は文科省の指導の流れか?統合による廃校が進んでいる。直近でも隣町の小学校がなくなった。そうした環境のなかで、学校を存続させる方向を打ち出したのは、当時の市長であり具体策を講じてきたのは市教育委員会。これが現市長にも受け継がれ強力に進められている。この進行中の取り組みについての実態を説明。Photo_2アサザさんは国内二番目の大きさにある湖:霞ヶ浦の水質浄化の取り組みを努めているその経緯を説明。産業発展、宅地開発、そしていまや高齢化による広い範囲の耕作放棄地による水質悪化は、広く取り組まなければならないし、目に付きにくい谷津田の整備も着実に継続しなければならないことを訴える。また政府に頼るだけではなく、子どもの頃から生活の中に意識させ、はじめたプロジェクトは商品開発に結びつける等ビジネスに発展させる必要を強調していた。研修生は経済発展途上国だけに、既に日本は経済発展がもたらす害の問題と対処した経験は豊富とさりげなく紹介もある。
Photo_3 そこでの最初の話題、「おくのキャンパス」の実践と題した二中校長先生のプレゼン資料。これは奥野地域の方々に公開し認識を深める方が良いのではないかと相談し了承を得たので紹介する。スライドはパワーポイントで作成された24ページに、「平成30年度おくのキャンパスグランドデザイン」(A4)を加えてあった(研修生には英文で配布)
左図はその1ページ目。画像は過去のおくのふれあいまつりで撮った子どもたちの集合写真。以降続くページのスライドはこちらから「okunocampus.pdf」をダウンロード
以降記憶をたどる概説。2P:牛久市という場所の共通認識。牛久大仏、牛久シャトー、大相撲横綱稀勢之里の出身地。3P:牛久市の地形、その中の東部が”奥野地域”。市の人口と児童生徒数。4P:奥野小と二中の児童生徒数。中学校は
茨城県南では最も少ない中学校と。周辺の自治体は学校統合の方向。5P:この地区のコミュニティを守るには学校を残すこと。それには牛久市として特長づくりは必要で「質の向上」を図る。6P:地域に名称を。それが「おくのキャンパス」で、奥野さくらふれあい保育園、奥野小、牛久第二中学校と生涯教育の地域の拠点、奥野生涯学習センター。これら隣接或いは近辺一体の名称。7P:おくのキャンパスの特長。市内で最初のコミュニティスクールになったこと。そしてグランドデザインを共有した。小規模特認校制度(校区外の市内か就学可能とする)を導入した。それを周知するために毎年11月にはオープンキャンパス期間を設けている。学習面では英語教育と環境・郷土教育に力を入れている。8P:「おくのキャンパスグランドデザイン」。学校と地域との共有する情報(基本方針)。9P:地域との共有は「学校運営協議会」の場で検討し運営を指揮する。10P:お陰で、小規模校になって3年目で1年生は2クラスになった。小・中学校での校区外からの就学は53名になり全体の17%。11P:今年度の重点施策。12-14P:英語教育。先生とALTによる少人数指導が特長。中学ではブリティッシュヒルズで一泊二日の合宿。小中ともにSKYPEを利用してオーストラリアと交流。昨年11月には、生徒6名月双の先生4名、計10名が来日し当地にホームスティした。15-16P:環境・郷土教育(ESD)。小学校と中学校とが連携して自然をとらえ、郷土をを知る。いずれも地区の人々の帯同協力を得る。6年生の中学一日体験は年に二日ある。17:「確かな学力」の育成。聴き合い、学びあう授業、話す書く活動。18P:「豊かな心」の育成。19P:「健やかな体」の育成。20-23「P:おくのキャンパスコミュニティスクールの推進(地域との連携・協働)。24P:おくのキャンパスの目標。それは「夢と自信を持ち、おくの(奥野)を支え、未來にはばたく児童生徒の育成」。END。
<おくのキャンパス学校運営協議会委員S.H>

2018年7月16日 (月)

てんやわんや1

 おくのふれあい祭り(7月14日)までは、気ぜわしい毎日でした。この間、何にもしなかったわけではなく、いろいろと追われていた。そうしたときはより安易な手段を使うようになるものだと我が身に感心している。というわけで前記事に続くいいわけ記事。これ案外・気持リラックス。
 SNSでの発信は続けていた。記事は相変わらずだが、写真を容易に扱えるのがよい。このSNSをみて奥野小、牛久二中の近況がわかるなんて言われてたりして、役立っていると実感できると嬉しくもなる。しかも、多くが教え子といってよい成人したかつての子ども。パソコン教育していてよかった。今年は17年目になるがつづけるしかないか。

Photo_5
 7月10日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1578390732269479
 7月11日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1580010895440796
 7月14日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1584443068330912
 7月14日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1585710144870871
 7月14日  https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1585741591534393
 7月16日 https://www.facebook.com/photo.php?fbid=1587320734709812&set=a.786964641412096.1073741826.100002957016022&type=3&theater
まつりの様子は奥野小と牛久二中のホームページ7月14日トピックスにアップされている。両校に差がでて面白い。是非見て!


 昨日:15日は、毎月の共同作業の班清掃で始まった。今月から9月までは一時間早い8時の開始。男性は少ないけれど多くの班員が顔を出すのがこの班の良いところ。他に”祭り”の後始末とか、買物につき合うとか、不義理していた先にメールを送るとか、結構いろいろある。本日:16日になってやっとオフ。そこで滞っていたジョブを気ままなペースで済ませることにした。こうしたときは面白いもので、考える作業は後回しになる。手軽なものから着手する。明日の連休明けは、修正したはずのホームページのあるページが、再び不具合なので、この際、関連するページの手直しを含めて今日中に準備し、明朝一番に学校で修正作業する。明日の午後は授業改善努力中の学校を巡って関心のある方と意見交換。一人でも学校応援団は増やしたい。
今一番の課題は、この2年間の授業及び校内研修を参観した結果を中間報告に仕上げること。
作成にあたり不十分なところは調べたり、インタビューして納得いく報告にしたい。

 今年からサポートのスタンスを変えた。リタイヤ後はスキルを活かしてもキャリアは表にださないことにしていたつもり。実際、現役中に経験済みのことが、目の前では”あら!この程度”ということは多々ある。でもサポートは脇役、与えられた中で最善を尽くす。それがいやならやめるにしかずだと思っていた。あれから17年、やっぱりお粗末なのはそれを指摘しない限りそのままが多々。というわけで、ホームページのサポートも、校長先生にお会いして、自分のやり方と学校の要望とをつき合わせて、同一目標で進めることにした。ボランティア活動は”できることをできるだけ”は信条だが、アドバイスできることの受入れ意欲のあるところには指摘することにした。簡単に言えば”やる気のあるところには熱意で応える”ということ。不慣れな発信作業で生徒に向き合う時間を減らして欲しくない。だから”分からなかったら連絡して”にかえた。半日かけても出来ないことでも慣れているこちらは直ぐ解決できる。
 
それにしても、学校教育にはもっともっと多くの手が必要と痛感する。6月議会の一般質問でとりあげた議員がいらした。リタイヤした企業の戦力だった方がおられるのは確かだから一人でも二人でも学校の手助けになって欲しい。すでに授業見守りとか、登下校の見守りとか、昔の遊びといった授業に協力されている方は多いが、それでも不足している。とりわけ男性が少ない。牛久市もボランティア講座を開いたりしているが、学校の求める人材ということに絞った募集をみたことがない。学童保育の募集は見るが。

 今年度、コミュニティ・スクールを各校に導入と進めているが、進めたい意思は分かるにしても、引受ける側の気持の理解はできていない。地区社協という立派な理念の組織も市内には小学校単位で8つもある。そもそも言われなくても既に学校に長く協力しているグループや地区社協のもとで活動しているグループもある学校と地区は一体。この一体の中で何を意識して活動することが、地区の年寄りの励みになるのか、そこのところを抜きにしては、地区は厚着するばかり。こう暑くてはきておられない。行政区と地区社協という任意団体と継続して支援に当たっているグループの関係をこの際整理し、あらためて意欲の沸く仕掛けをしてもらいたいものだが如何?。

2018年7月 9日 (月)

祭りだ、ワッショイ

 「祭りだ!ワッショイ。おくののまつり」としたかったタイトル。実は6月30日以降発信が送れている言い訳のつなぎ”おくのふれあいまつり”のポスター掲載記事。
 7月のこの時期は校内研修の目白押しにあり、強い関心があるから行って、また新たな情報を手にして、ハイテンションになっている。つい速報性の高くかつ読者の反応も早くみえるSNSで発信している。とうとう、そちらばかりになってしまった。他にも毎月の行事が月に1ないし2回ある家内の要望に応える時間。月初の学校訪問。さらに7月14日(土曜日)開催の”おくのふれあいまつり”の実行委員会もあったりした。そこへ昨年8月、突然消えた次兄が”息子にように接していた”点描画家モトムラタツヒコさんの個展 も7日(土曜)から3年ぶりの開催とあってどうしても行きたい。彼の作品わかりはこちらから。これらのジョブ、どれもこれも同じプライオリティ。というわけで、この間は Facebook で発信してきた。そのこと、ご存じない方もおられるので、ここに紹介。

 7月1日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1565303643578188
 7月4日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1569378319837387
 7月5日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1570998619675357
 7月6日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1572719779503241
 7月7日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1573834466058439
 7月8日 https://www.facebook.com/shozo.hayashi.14/posts/1575149952593557
                  牛久二中生作成”おくのふれあいまつり”ポスターの一部180709
 ところで、いまのところ習慣になっている録画し観る番組(経済、歴史、自然観察等)は、ところどころ飛ばしながらもみているし、睡眠はそれなりにたっぷり?

2018年6月24日 (日)

共同菜園の近況

A180621_1雨に濡れた梅雨の明け間、玄関側の桔梗が咲いた。道路側は多く、軒下近くはただ一つ。陽当り差によるのだろう。この桔梗の薄青むらさきが好きだ。しぼんで白くなって取り去るとまた咲く。手間はかかるが長い間見ていられる。家内の世話する花たちの”このシーズン”のトリ。そういえば庭の一株の紫陽花。昨年の入念な手入れに報いてくれたのか大輪のが色とりどりに咲いている。  

A180621_12隣地の畑。キュウリはもういくつか賞味した。トマトは砲丸型でもうすぐ。ズッキーニ(黄色の花)なるもの、はじめて知った。輪切りにし、炒め、能登で手にいれた塩を少しばかりふる。美味い。そういう食材だったのか。あっ!そう。庭の春菊も、夕べ天ぷらになって食卓にのぼった。パリッとして風味があって・・。こりゃ贅沢なこと。 
 隣地、かつては大木に育った数本の木と生い茂る蔓と雑草で鳥のすみかにもなっていた迷惑森A180621_2班長の時、奮闘して班内の環境改善に取り組んだ。森は何年も市役所にも動いてもらい、やっと会えたという地主に伐採の許可を得る。35家からなる班の12軒の男たちがチェンソウ、草刈り機、ナタにノコギリ等々持ち出してきて切り倒し、刈り取った。山と積まれた廃棄物は市の2屯トラックで数回運び出してもらった。平地にはなったが放棄地だから翌年再び繁忙する。A180621_3その年、一人が“この際共同の菜園にしましょう”と呼びかけてきた。管理は当方という条件で無償借受けとなる。今度は3人の男と二人の主婦、計5人で畑地転換に乗り出す。まず、いくつも残る木の株を取り除く。とれないものは腐らせる処置を施す。蔓延った根っこは暑い中数ヶ月かけて丹念に取り除いた。70才そこそこだったから出来たが今はもう無理だ。あの頃が懐かしい。結局ご近所の5軒で野菜づくりをはじめて今につづいている。耕し、播き/植え、手を入れて収穫するのが楽しみになった。A180621_4理由をつけては、互いの車庫でバーベキューパーティを開いたりもする。通りすがりの人も声をかけてくるようになった。声を掛け知恵を出し合い協働して、苗や肥料の買付にもでかけている。今月初めには男爵とメークイーンの大量収穫。ミカン箱一つ半ずつもある。ご近所にお裾分け。小さな交換はいつものことになった。A180621_5_25軒での菜園がそれぞれ、気遣わない労力とちょっとした思いやる心の交換で実も心も豊かな菜園になった。近辺をも取り込んで。
子どもの頃に知るご近所づきあいのはじまりのようなもの。今は、団地の一角の一風景。やがて時を経て年寄り中心の団地になっても日常になろだろう。一年中ある塀際のネギ、ピンとして存在を主張している。短期に派手に実が付け目立つ野菜に負けてはいられないのか。

2018年6月13日 (水)

30年度、覚え

 ボランティア&サポート活動をつづけるうえでの今後のスタイル。これは自分自身への宣言だが、それを貫く以上周囲を巻き込むことになるから記事しておく。今まで、それなりにやってきたし、感謝もされてきた。なのにあえここで・・。
 理由がある喜寿になって自分を見つめ直した。片足立ちの時間は標準以下、三段脚立の上に立つとふらつく、10キロでももてあます等々体力のほか、記憶力の衰え、視力の減退には困った。これは秋の手術で若干の回復はみようが、何にしても
自分の納得いく活動の出来ないのは不満足。いつまでもというわけには行くまい。いってはいけない。この気持の変化の一番は、昨年夏に急逝した次兄。一般的に言えば膵臓ガンで、彼が少し疑問を持って検査入院するとスカイプで話してきてわずか19日目にこの世から消えた。今もって信じられない。死は突然やってくる。リタイヤ後の活躍を共に抱き、刺激し合った5歳上の兄だった。気落ちした。立ち上がりに時間を要した。     

 年明けにパソコン授業の辞退を申し出たり、その他の活動はフェードアウトしようと考えていた。が・・結局、周辺も、
自分の中のもう一人の自分もそれを許さない。2002(H14)年。この年、初孫は小学校に入学した。そこから情報教育のスクールアシスタントを皮切りに、ホームページの作成やサポートを続けて市内全域に拡がった。2016(H28)年からは、関心の外だった授業を観ることに機会を頂いている。そもそも、パソコン指導の申し出は、世の中にコンピューターなるものが出現しはじめる前から国の出先機関やコンピューターメーカーやエンドユーザーから、求められるままソフトウエアの開発や完成したシステムの運用に係わってきたその経験やスキルをもって学校の手助けをしようと志した。あのまま情報処理企業にいれば創業者利得も手にしたはずだがその気はなく、子どもたちに身についた情報処理技術を伝授したい気持の方が勝った。今思えば早すぎたIT経験者。ネット時代のビジネスを読めなかった世代。でも悔いなし。学校サポートには目標も持って臨んだ。「小学校6年生が社会に出る22歳で”CT”では一歩先を行く知識を身につけさせたい」と。今もそれは変わらない。正直いって先生方の知識は高くない。当たり前だ。一部のマニアックな先生はいるが主流でなく組織的に活かされていない。それはもうどうでもいい。さらにICT環境を整える側の水準は高くない。教育のICT、認識から公開されたい。

 本題からそれた。戻す。子どもたちに係わる部分、その目標は内に秘める。体力・知力は絞り出してみよう。加えることがある。遠慮してきたキャリアで得た知識は少し活用する・発揮するその方がサポート内容を充実できる、成果が出る。この春、13の学校長と話した。ホームページが主題だが、そのほかについても率直な意見を交換した。今後、相手にあわせてサポートを徹底する。熱心な学校には熱心に。その方がやり甲斐がある。既に数校の意欲をみた。サポートは遠慮なく連絡して欲しいと申し出ている先生には”子どもに向き合う時間”にその多くを使ってもらいたい。コンテンツの作成と簡単な発信手順の励行は前提として。迷う・考えてしまう事態ならサポーターへ連絡
 学びの共同体への先生方の取組みを高く評価している。文科省はアクティブラーニング(主体的、対話的で深い学び)と言っているが、牛久は実質先行している。このこと、PTAはもとより、市の幹部も地域の理解者も知っていただきたい。毎月の校内研修はもとより、予告無しで授業を観察させてもらう。教育長、学校長の許可を得ている。観て、考えて、リポートする。子どもに向き合い高い質の学びを保障する先生を応援する。牛久の先生には、これからの教えのプロフェッショナルになってもらいたい。それに役立つと思ったサイトや資料は紹介する。
180613その方法。SNS(Facebook)とブログとホームページの三種類。速報性の高いニュースはSNS、授業観察等はブログ、保存しておきたいものはホームページでと使い分ける。個別に、我が趣味でうしくコミュニティネットを利用したホームページも作った。これには発信担当者の出稿をみながら補充する。これらの一部が左記の表。
 ホームページ「奥野の郷」の更新が進んでいない。発信・管理者にあるまじきこと。されど おくのキャンパスの発信に切替えようと考えるあまり、そのリニューアル方針がいつまでもまとまらない。それより、日々のニュースやリポート他で手一杯。これ!本当だが、言い訳。因みに発信多のSNSはこちらから
ほぼ毎日発信。「友達」になれば最新が見られる。

2018年5月 3日 (木)

憲法記念日に思う

 本日3日は憲法記念日。弟の誕生日で前日:2日は父の誕生日。そのせいか子供の頃から何かしか印象にある日々。太平洋戦争の終戦で1945年10月釜山から一家は引き揚げた。その時、父41歳、母38、長兄13(旧制中1)、次兄9(小4)、姉8(小3)、姉のは背には1歳5ヶ月の弟。私は4歳7ヶ月だった。翌1946年3月、一次避難先で妹の誕生をみる。今、既に親子8人の家族は母、父、長兄の順に他界し、昨年夏次兄はきえた。戻ることのできない世界に行ったらしい。
180503_3 今朝、珍しく毎日新聞を一面から深読みしていた。トップ大見出しに「自衛隊明記 賛否割れる」とある倉岡一樹記者の記事。賛成27%、反対31%、わからない29%、無回答13%とあった。自民改憲案に対するアンケート。
自分はどうかと問いかけてみた。正直、今は反対に近い”分からない”になる。迷いがあるのだ。現憲法は世界に類を見ない理想的な憲法で、そうであればこそ世界各国に誇れると信じてきた。世界中が見習ってもらいたいほどに。一方”自衛隊”をいまなお憲法違反とするのは如何なものか?とも思う。改憲ではないやり方で、憲法違反としない方法はないものかと手探り状態。結局、賢者の知恵を待つ身。
 現政権には不信感が募っている。この政権は怪しい。その政権による改憲には絶対反対であるモンテスキューは「法の精神」で”すべての権力を持ったものは乱用しがちであり、その限界まで乱用する”と洞察した。それゆえ”権力を乱用できぬようにするには、権力が権力を抑制するように仕組まねばならない”と喝破した。現憲法は、立法・行政・司法の三権分立。対等な立場にあるはずなのに現行政府は、権力を乱用し疑惑不正の巣になっている。露見した決済文書の改ざん。虚偽答弁、記録の隠蔽。一党支配のみならず、高級幹部の人事権を握った内閣府によって官僚までもが支配されている。忖度が悪いとはいわない。公正で公平で国民のためになるであればよいことそれがない。森友・加計問題でトップ個人への世論の不信感はますばかり、私も同様にある。このままでは旧憲法下における戦前の統帥部の独走を許したあの時代と同じではないか。この人、無神経に過ぎる。
 一家で引き揚げてきた事実と戦後ダイナミックに起きたエネルギー政策の転換期に炭坑のある町に住み、労使の見難い戦い、振る舞いを少・青年期を通して体験してきた。戦争はいけない。権力は権力者に都合良く動く、人々はたわいもなく傍観にはしる。どうも私たちの民族の習性らしい。かつて司馬遼太郎さんは警鐘をならした。今から先のある時期、孫たちから「あのとき、爺さんはどう考えていたのか?」と聞かれることもあろう。だから今、記しておく。

2018年2月 8日 (木)

安全・安心,男性・女性

 6日、県庁に行ってきた。68キロ。圏央・常磐・北関東道を走って60分前後。つい最近まで、くるま選びをしていたから車種が目につく。軽自動車もけっこう走っている。大型コンテナ車の追い越し時は一寸心配だが・・。軽は近距離・周辺走行向きなんだろう。実用車として多いのはよく分かる。使い勝手がよい。そのうち我が家も?
 今回のくるま選びは古希に近いから安全装備は絶対とし、加えて自重したレベルにとどめた。軽ではないが車高を高くした排気量の小さい普通車
(ボックスタイプ?)があり、魅力的に見えた。高さのある分、前面の視界は広く頭上も広い。後部ドアはスライド。TV-CM通り広く出入りしやすく幼児をもつファミリーには最適だろう。年寄りにとっても、ステップが低く乗り降りや座りやすさは実にいい。こうした新しさにはちょっぴりワクワクもする。従来車との変化は明確で、乗り換え感もある。懸念、それは前面パネル部分にあるシフトレバー(コラムシフト?)の操作。運転席・助手席の間にあるいわゆるフロアシフトではない。大丈夫だろうか。また車高の高い分、ネット情報によれば高速安定性に若干の不安も。それでも”慣れるなれる”だったが・・。
 「お父さんが運転するのだからお父さんが決めたら」と言っていた家内、検討途中に孫が我が家からつくばに通学したいというハプニングで条件変更。乗り換え方針からプラス一台に。当初は嵐や雪の日、夜間は出かけず、高速はたまに乗るといった条件だったが、夜間も高速走行も安全であらねばならないとなった。お父さん基準から若い者基準が加わった。となると勝負あり。必然的に手慣れたこれまでと同じタイプ:シフトもブレーキも高速走行も従来の方が安心となる。更にあってはならないトラブルの時に一年365日・24時間サポート体制ありますよと聞かされては、もはや
”安全”は当たり前で、安心”が絶対条件になった。家内が安心する車。それは別格の要件でわたしも安心。だからそう決めた。

4 今回もそうだが、いろいろな局面で遭遇する男性・女性の違い。いったいなぜその挙動?と思うことが再々ある。ときおり考えていて一つの仮説をたてた。「がキィーではないか。左図は男女からなる家庭の概念。女性は身をもってを育む生まれた児を命がけで育てる。そうした本能の行動が起点とみた。男性はその点無責任。縄文の時代から変わることのない習性。男は基地を出て狩猟にでかけ獲物を持ち帰る。栄養価の高いにとって大切な獲物ほど値打ちが高く、女たちはそれを分配する。をつなぐ。近代の商業、工業の発展は立地したところに農村部の余剰人口が移動して労働力になった。ここから男女の分業が確立していく都市労働型。そして昭和の終わり頃まで、男性は外で稼ぎを得、女性は家庭を守る。イコール子を育てる。男性は出かけ、ときにはロマンを求め夢までみる極楽とんぼ。女性は家事・育児をこなすから安定を求める。地に着いた生活を望む。この図、加えて完成させれば面白かろう。男性にとって理解不能な挙動・言動は、をコアにした本能にあるに違いない。そう考えれば、繰り返される言葉、「~に気をつけて/~に注意して」等、アレヤコレヤも本能から発するものと受け流せよう。男女の役割は、得手不得手を踏まえて分担するが良い。
 自分が家庭を持ったとき、誰もと同じことだったがどこか誇らしかった。一人前の社会人になれた。子どもの誕生は、守るものが増えた喜びで、家庭を守る責任をいっそう強く意識した。もう今その子等はそれぞれ家庭を持つ。
世の中の変化した現在、夫婦ともに働くことが多くなった。当然、家事も育児も夫婦同等に分担するのが合理的で妥当だが、なかなかそうもいかないのか?若い夫婦は案外すんなり出来てもいるようだ。熟年の夫はいけない。今は過渡期だが昭和型の習慣が抜けない。定年になって好きなことをして家事には手を出さずという方もいる。裏で粗大ゴミなんて言われても我が家だけは違うと思いこんでいる。命を育み躾け育んでくれた妻、大切にされるが良い・・。経済力がつけば熟年離婚もふえよう。くわばらくわばら。これっ!余計なことだな・・。

2018年2月 4日 (日)

非核攻撃 核で反撃も

 「非核攻撃 核で反撃も」とは、今朝(2月4日)の毎日新聞一面トップ大見出し(ワシントンとモスクワ発共同署名記事)。つづけて横見だし「トランプ政権新小型核開発へ」と。トランプ政権が2日公表した”今後5~10年の核戦略の指針となる「核態勢見直し(NPR)”による背景をみる。「核なき世界」を掲げたオバマ前政権の方針を転換し、核の役割を拡大する方向への転換。広島を初訪問したオバマ大統領も、トランプ大統領もアメリカ。37とか38%とか強い岩盤による支持が、正反対の政策を平然と打ち出す、まさにアメリカファースト。クリミヤ半島強行併呑のロシア、台頭する中国、北朝鮮やイランの核保有の野心に対抗するに必要と。核の小型化は、核をもって戦争を抑止するという考えから大きく後退するもの。どうも世の中には、戦争は絶対駄目だという人々と、戦争をしたがっている人々とが、常にいるということだろう。
 また、こんなニュースも。アメリカは、北朝鮮:金正雲の一連の行為に対して「ブラッドリー(鼻血)作戦」を用意しているのだという。限定的な攻撃。ミサイルや核開発、その他の脅しは”ためにならないぞ”といういわば懲らしめ手段のようだが、それがどう拡大するか心配。平昌冬期オリンピック後の4月以降が要警戒と誰もが思っていることだが、どうしたものか。我
無力なり。
 戦争は、平時、誰もが平和な生活を希求しているから絶対反対。でも戦争を必要悪としつつも大量な破壊と消費は戦後膨大な復興j需要をもたらすとする考えもあったりする。実際、今の半島危機に対して、私たち日本人としては、拉致被害に遭われた方々を即刻帰してもらいたい故、アメリカに協調して北への強攻策も必要とおそるおそる?認めてもいる。では”いざ”というとき、どうするの?となるとなすすべもない。結局、個人としては戦争しないで~と願いつつ、なるようになると諦めてもいる。
 ”昭和”を懐かしがる風潮があって、そうした雰囲気を持つ飲み屋街が生まれているというが、
懐かしいのは昭和20年の敗戦から昭和天皇崩御の43年間だろう。その時代、敗戦による反省を踏まえイデオロギーの対決に過激な運動もあったが、高度経済成長を遂げ人々の生活は豊かになった。そこに至る熱量が今思うと確かな時代をつくっていたのかも知れない。物が豊かになった分、失われたものもあるはずだが、どうしたものか目につきにくい。
 本日:2月4日は105歳9ヶ月で逝った父
(明治37年、1904年生)の命日。父は、若き頃”ものいえぬ時代”があったにせよ、結局は良い時代を生き抜いたということになろうか?合掌。

追記)2018年冬季オリンピック開催地の平昌(ピョンチャン)は、江原道の郡のひとつ。私は江原道の道都:春川市で1941年に生を得た。2月9日(金曜)開幕からパラリンピック終了までは、少なくとも平和であってほしい。
 

2018年1月31日 (水)

くるま選び顛末

 最近高齢者の事故が目につく。多くは80歳前後。単純な操作ミス?誤認識?による逆走もある。3月に古希と車検を迎えるからそろそろ油断ならずか。そこで現在のマークⅡ平成15年車:12万キロ弱)を安全を装備した車に乗り換えることにした。この地に来て初めてサニーに乗ってから数台乗り換えて今度が最後というわけ。6日に帰省した子どもたちに話すとSUVはどうかと。7日調査開始。まずC-HR(1800CC)ハイブリッドに試乗。なるほどこれが最近の車か。いろいろな安全装備あり。但し書きに装備は運転の補助と。事故って損害賠償を求められたらメーカーはたまらない。350万前後。う~~む。2台目:VEZEL(1500CC)260万。心が動く。いつも走っている道路にはいくつもの販売店があったのだと今回認識した。向い合わせの店も。初期要件は、まず安全装備にナビ、ETC、バックカメラは必須として、流行のドライブレコーダーに洗車手抜きのためにコーティングはいる。Photo昨年秋、福岡で甥や彼の友人から”車は残クレで乗り、車検時により安全な車に乗り換える”のだと聞いてそのつもりだったが、ここから家内が参加し、残クレ一蹴、利率分勿体ないと。そこで条件設定のやりなおし。平常、単独か二人での利用。東京・水戸・成田などは多くて年に6回程度?。圏央道は買い物で随時走り、年間走行距離8000キロくらい。そのうえで、①安全装備80歳での乗降(運転・後部座席の乗りやすさ・心地具合、頭上、ドア) ③常磐道(隔月)・圏央道(随時)での加速性・室内音 ④経済性(燃費、税金等) ⑤スタイル ⑥価格(~230)。
 この地に来た昭和48年以来の自動車整備の知人がいて、いつも適切なアドバイスをもらっている。毎日運転を含め高速走行を踏まえれば軽自動車はない、またハイブリッド迄は不要、ガソリン車で十分とも。そこでスモールカーに移る。2_23台目:ソリオS
(1200CC)200万。ボックスタイプというのか乗降に便利かつ視界良好。高さのある分高速での横揺れを少し心配。それと前面パネル部分にシフトレバーがある。コラムシフト?というらしい。4台目:デミオ13S、230弱、軽快な走り。5台目:フイット(1300CC)220弱6台目:タンク(1000CC)、200。7台目:ルーミー(1000CC)、230ここまでの試乗で1000~1300CCで十分と認識した。
 そこへ孫からの電話。我が家に同居
(下宿)させてと。受験にはつきあったが大学院に進むという。つくばまで通学することになる。2年間だろう。そうなると3月の廃車乗り換え路線は変更に。もう一回車検をとり新規に追加。卒業後はわたしが乗る。となれば孫にも試乗させたがよい。なにしろ家内は、通学に車は必要だが、事故を心配するから安心させたい。
 28日から詰めに入った。条件にプラスして、カラーはホワイト、希望ナンバー、登録月、納車日等を指定し再見積へ。東京や水戸への走行を考慮すればやはり1200~1300の方が良いので2車種に絞る。ボックスタイプ(コラムシフト)と従来同様タイプ(フロアシフト)。2日までに調査を整理し、日曜の夜には決定、月曜には次の段階へ。車選びにこんなに多くの時間を割いたことはない。大変勉強になった。どの会社も説明がよどみなく、応対が良い。商談コーナーもホールもカフェのよう。何よりも押しつけはみられないスマートさ。それにしても安全装置の進展には今浦島になった気分で聞いた。契約後は任意保険の検討になる。下調べしたが現在ゴールド・20等級一台に比し、2台になり一方は22歳となると驚くほどの高額になる。でも安全と安心のためには必要なこと。

2018年1月13日 (土)

金婚式の記念写真

 去る11月25日(土曜)、牛久市の合同金婚式(牛久社協主催)に招待され参加した。夫婦の記念写真を撮って戴けるというのは魅力で、その写真は年内に届いた。この年、人口8万5千人の我が牛久市では301組あり88組の参加という。お礼の電話をし台紙に組込まれた記念写真をスキャンしパソコンに取り込んだ。すぐに2Lサイズにプリント。家内が左手の椅子に私は傍らに立つ。こんなポーズ結婚式以来である。それを思い出し奥深くに保管されていた結婚式のアルバムを引き出してきて、当日の二人の晴れ姿も同様にスキャン2Lにプリントした。こんな記念写真、その後は撮ろうとしても夫婦の息が合わなくその気になれずとれていない。
Photo
 2年前、長女の次男の京都の高校への進学にあたって一家の記念写が送られてきた。珍しいことだが偶然、ほぼ同時期に七五三祝いの記念写真が次女と三女からも届いた。以来、大切な孫つきの三人娘一家の記念写は2Lサイズで揃え、手軽な木製の額に納めてサイドボード上にある。その前には二つのグッズ。リタイヤ後の夫婦の旅の一つ:出雲大社で手にいれた打ちでの小槌と兄弟姉妹で父が毎年行ったという鬼怒川温泉の旅館に泊まり父を偲んだ旅の翌日、日光中禅寺湖の湖畔にたつ中禅寺立木観音で遺品代わりに手にした6兄弟姉妹各家分の七宝焼きのストラップ。家内はこれらの写真を小槌を振り、ストラップを手にその平穏か何事か?ブツブツ口にしている。我が家の朝の平和な景色。ついでにジャンボ宝くじのときは当選祈願をしているらしい。が、当たったことはない。
 そして今回、
この三人姉妹一家の記念写真の両脇に私たちの結婚式と金婚式の写真をおいた。密かな意図があった。元旦に数時間在の長女一家、6日に次女と三女の一家が揃って帰省。この5枚並びの意図をアッサリ見破った。そう、我が結婚式からの金婚式迄の50年間の夫婦のドラマがこの順にありなんだが・・・少しは”これな~~に”って言って欲しかった。これからは子どもたちが主役。彼女たち一家のドラマも豊かに描かれよう。それがまた我が夫婦の宝にもなってくる。
 まもなく古希を迎える。子どもの頃は予想もしなかった年齢。でも見映えは別にして余生というほどには衰えず、今第二の人生にある。昨年8月の眼前から消えたごとき次兄の死には、我ながら驚くほどに沈んだが合同金婚式参加を節目に立ち直れたようだ。新年を迎えて目標を定めた。兄と同年齢の81歳までは自分らしい振る舞いでボランティアをつづけようと。リタイヤまでに身につけた
体験や経験を、活かす機会さえあれば使うことにしようと。
かつて銀座にあった相田みつをさん(詩人・書家)の作品展示
「親切という名のおせっかい」というのがあった。それからは”われにはそうした一面がDNAか?あると自覚”し、避けねばと心がけていた。この書は「そっとしておくおもいやり」とつづくのだが、前だけが気にとまった。この正月6日、三女は二中卒業および成人式以来というふたりの同級生のまえで「父さんは少しも変わらぬ」と言い「お節介だったらハッキリいいな」とも言っていた。三姉妹には分かっている我が悪しき性分。笑ってしまった。と言う訳で、みなさま今後も、お節介・ご迷惑のだんはお許しを!奥ゆかしい不言実行タイプではなく、社会人になってからは有言実行を旨としていますから。